サヨクの単発妄言をブッタ斬る!
慰安婦の手取りは水揚げの僅か1割。 残りは業者の懐へ。
だから慰安所の経営はとてもとても美味しい商売。
金にあかせた女性の獲得競争が始まったことは想像に難くなく、
現在の闇金業やウラ風俗業にたずさわる連中がやっているような違法な手口が
まかり通っていたに違いない。
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facebook 泥 憲和
7 慰安婦の働き方と報酬額 @ 慰安婦業者の契約書を確かめる
facebook 泥 憲和
【従軍慰安婦の真実】4 元慰安婦の証言に信ぴょう性はあるのか
に引き続き、今回も、全文の引用は割愛。 お手数ですが、リンクを踏んで読んできて下さい。
では、
またもや泥 憲和氏の頭蓋にブーメランが深々と刺さっています。
これほどうまい商売だから、金にいやしい連中が、女性を集めるのに
まともな方法ばかりとっていたかどうか。
現在の闇金業やウラ風俗業にたずさわる紳士たちがどういうことをしているか考えれば、
類推できるのではないでしょうか。
と書いていますが、それを取り締まっていたのが日本軍と日本政府の傀儡政権たる朝鮮総督府で
す。
証拠なしに類推していること自体が単なる下衆の勘繰りですが、仮にそれが事実だったとしても、加
害者は慰安所の経営者や女衒であって、日本軍でもなければ朝鮮総督府でもありません。
2014年03月17日 zakzak
【視線】慰安婦募集の「実行犯」 河野談話の隠された主語
政治部編集委員・阿比留瑠比
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140317/dms1403171551008-n1.htm
( 魚拓 )
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140317/dms1403171551008-n2.htm
( 魚拓 )
> 国民不在のまま、韓国に迎合してつくられた平成5年の河野談話の大きな問題点は、
> 慰安婦募集のあり方について証拠資料も裏付けもないのに
> 「官憲等が直接加担したこともあった」 と認めたことにある。
>
> この一文が拡大解釈されて、日本政府が公式に強制連行を認めたと世界に伝えられ、
> 日本は 「性奴隷の国」 という言われなき汚名を着せられることになった。
>
> それでは、ここで言う 「官憲」 とは何なのか。
> 内閣外政審議室が河野談話発表時にまとめた記者会見の 「想定問答」 には、
> 次のように書いてある。
>
> 「 『官憲等』 とは、軍人、巡査、面(当時の村)の職員などを指す。
> これらの者が慰安婦の募集の際に立ち会うなどして、
> 強圧的な行為に加担するケースがあった 」
>
> 実際、河野談話の根拠となった韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査では、
> 巡査と面職員の関与に言及している女性がそれぞれ4人ずついた。
>
> そこで当然気になるのが、軍人はともかく当時の巡査、面職員らがどういう人たちだったか
> である。
> 現代史家の秦郁彦氏によると、戦前・戦中の日本統治下の朝鮮半島の実情はこうだった。
>
> 「 地方の巡査クラスはほとんど朝鮮人と言っていい。 面の職員も当然そうだ 」
>
> だとすると、「強圧的な行為」 に加担したのは朝鮮人自身でもあることになる。
>
> また、河野談話は慰安婦募集に際し 「甘言」 が用いられたとも指摘している。
> 当時、朝鮮語で 「甘言」 を巧みに操ることができる日本人は
> 非常に少なかったことを思うと、これも隠された主語は
> 主に朝鮮人の女衒(ぜげん)や業者ということになろう。
>
> 東京都在住の産経新聞の読者、横山博さんが筆者に送ってくれた
> 昭和6年7月の朝鮮総督府の名簿(コピー)によると、当時の面長(村長)は全員が朝鮮人だ。
>
> 知事をみても、忠清北道・洪承均▽忠清南道・劉鎮淳▽全羅北道・金瑞圭▽黄海道・韓圭復
> ▽江原道・李範益−とやはりみんな朝鮮人である。
>
> 京畿道、全羅北道、慶尚北道、慶尚南道、咸鏡南道の巡査教習所の所長も、
> それぞれ朝鮮人が務めていた。
> 警察署の署長は日本人が多いが、ナンバー2にはおおむね朝鮮人が配されてもいる。
>
> これが実態だ。
> 現場の官憲はほとんど朝鮮人であり、幹部クラスも別に日本人が独占していたわけでも
> 何でもない。
>
> 仮に、証拠が見つかっていない官憲の 「直接加担」 が万が一あったとしても、
> その実行の主体は日本で、責任の所在も日本側だけにあるとどうして言えようか。
>
> 荒唐無稽であり得ないが、韓国の反日団体が世界で風説を流布しているように、
> 日本が本当に20万人もの少女を朝鮮半島で強制連行していたとしたらどうか。
> 朝鮮人も紛れもない共犯であり、むしろ実行犯であるということになる。
>
> 昨年10月、河野談話作成時の事務方トップだった石原信雄元官房副長官に
> インタビューした際に、
> 「 当時の巡査はほとんどが朝鮮人ではないか。 その点をどう考えるのか 」
> と聞くと、あっさりとこう語った。
>
> 「 そうですね。 実態はそうだ。 韓国側の巡査なんですよ。
> あの連中はね、自分の立場をよくするために相当なことをやっているわけですよ。
> 向こうの人が 」
>
> その上で石原氏は、こう続けた。
>
> 「 でも、それはわが方(日本側)が言ってもしようがない。
> (警察は)朝鮮総督府の管轄下にあったわけだから。
> (日本は)総督府と関係ないとはいえない 」
>
> 石原氏の言う 「相当なこと」 が実際どうだったのかはつまびらかではない。
> ただ、慰安婦問題が相当、ねじれゆがんで伝えられているのは確かだ。
>
> (あびる るい)
2014年08月12日 笑 韓 ブログ
【韓国】Youtubeで『河野談話』の動画を配布(写真)
http://www.wara2ch.com/archives/7810162.html
> 64: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/ 2014/08/12(火) 11:46:45.39 ID:wRtc5lw6.net
> 51 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/08/12(火) 07:24:39.59 ID:H9w+gPoP0
> 当時の慰安婦(売春婦)をとりまく状況はこう
>
> ・ 悪徳業者はいた
> ・ 日本は悪徳業者を取り締まっていた
> ↓
> ■当時の朝鮮人による人身売買、それを止める警察の新聞記事
>
> 東亜日報(1939.03.28)
> 50人余りの娘が朝鮮人人身売買団に引っかかり、北支や満州に娼妓として売られるも、
> 警察が救出する
>
>
> 毎日新報(1936.05.14)
> 農村の婦人を誘引した犯人を検挙
> 女性を満州に娼妓として売却しようとしていたところを警察が検挙
> 女性を救出する 4人の女性が魔の手を脱する
>
>
> 東亜日報(1939.8.31)
> 悪徳紹介業者の横暴 誘拐した農村女子の数は100人以上全員、警察が救出
>
>
> 毎日新報(1936.07.09)
> 娘を誘引し、売春を強制した行商魔女の罪状
> 純真な女性を誘引し、中国人に売春を強要 警察が検挙し、被害女性たちを救出
>
>
> 東亜日報(1935.03.07)
> 中国上海暗黒街に朝鮮人女性が約2000人
> これら、遠征売春婦のために朝鮮人の威厳が損なわれる
> しかし、これに対策を打つことはできない
> なぜなら、経済的な問題で自発的に労働しているから
>
>
> 東亜日報(1933.07.01)
> 少女誘拐団のトップを逮捕 主に幼い少女たちを誘い出し、売春宿に売り飛ばしていた
>
>
> 毎日新報(1936.02.14)
> 朝鮮人たちが女性を誘拐し、娼妓として売却 警察が発見し逮捕
>
>
> 東亜日報(1939.08.05)
> 処女貿易の誘引魔
> 日本人女性を誘引し、中国に売り飛ばそうとしているところを警察が検挙
>
>
> 毎日新報(1939 03 28)
> 農村処女を誘引し、100人余りを売り飛ばす朝鮮人拉致団
> これを警察が検挙し、女性たちを救出
>
>
> 【略取及び誘拐】
>
> 発生 検挙 検挙者 日本人 朝鮮人 その他
> 1935年 1,528 1,559 2,482 24 2,450 8
> 1936年 1,477 1,509 2,304 21 2,271 12
> 1937年 1,164 1,173 1,853 38 1,804 11
> 1938年 1,123 1,136 1,709 10 1,699 0
> 1939年 1,191 1,188 1,865 16 1,849
> 1940年 943 951 1,480 16 1,464 0
>
>
> ・ 「戸籍を偽造 醜業を強制 悪魔のような遊郭業者の所行 犯人は警察に逮捕」、
> 犯人:呉正渙(『東亜日報』、昭和8(1933)年5月5日)
>
> ・ 「路上で少女を拉致 醜業、中国人に売り渡す 売り飛ばした男女検挙」、
> 犯人:朴命同、李姓女(『東亜日報』、昭和8(1933)年6月30日)
>
> ・ 「良家の子女を誘拐して、満洲に売り飛ばし金儲け 釜山署犯人を逮捕」、
> 犯人:田斗漢(『東亜日報』、昭和13(1938)年12月4日)
>
> ・ 「悪徳紹介業者が跋扈(ばっこ) 農村の婦女子を誘拐 被害女性100名を超える」、
> 犯人名不明(『東亜日報』、昭和13(1938)年12月4日)
大東亜戦争が勃発して以降は、大本営発表を載せて国民を煽ることに紙面が割かれた為に、こうし
た新聞紙的に優先順位の低い些末な事件が紙面に載ることはなくなりましたが、かといって何の根拠
も証拠もなく 「戦争前は取り締まったが、戦争中は見逃した」 というのは下衆の勘繰りです。 「 取り締
まっていなかったという証拠を持って来いカス 」 という以外の言葉はありません。
というわけで、結論の部分が見事なブーメランであることがわかりました。
では、結果の根拠とした部分に誤りはないのでしょうか。
もちろん、大いに誤っています。
彼は、慰安婦が結んだ契約書を出してきて、
「 こんなに酷い条件だった。」 と言っているのですが、それは 『当時としても』 酷い契約だったのでし
ょうか?
拙稿、
慰安婦は酷い条件で契約され、辞めることも許さず、時間給1100円で1日に12時間、
月の休 みがたった1日か半日で売春させられた。
これはどう言い繕っても奴隷待遇である。
で既に論破済みですが、
その際に引用させて頂いた記事の著者の見解をもう一度引用させて頂きます。
> このような契約は 「身売り」 とよばれ、現在なら立派な売春防止法違反であるが、
> 戦前の判例解釈では、娼妓の契約を売春に従事することを約束させる契約
> (娼妓稼業契約)と前借金に関する契約に分け、前者は公序良俗に反するので無効であるが、
> 後者の金銭貸借契約は前者が無効になっても有効性を失わないという、ややこしい理屈で、
> このような人身売買契約を容認していた
> ( この解釈は1955年の最高裁の判例で否定される )。
> これが、人身売買として認定されておれば、大内の行為は
> 「帝国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ売買」
> するものにほかならないので、刑法226条の人身売買罪に該当する。
> しかし、当時の法解釈では、このような娼妓契約は 「公序良俗」 に違反する
> 民法上無効な契約とはされても、刑法上の犯罪を構成する 「人身売買」 とは
> みなされなかったのである。
> この契約を結べば、前借金
> ( 借金額は500円から1000円だが、そのうち2割は周旋業者や抱主がさっ引くので、
> 実際の手取りは400円から800円まで、2年で2割5分の甚だしい高利である )
> を受け取る代わりに、向こう二年間軍の慰安所で売春稼業をつとめなければならない。
> 衣類、寝具、食料、医薬費は抱主の負担とされているが、給与は毎月稼高の一割だから、
> かりに毎日兵士5人の相手をして (日本国内の平均人数)、実働25日としても、
> 月25円にしかならない。 50円を稼ごうとすれば、毎日10人を相手にしないといけない。
> しかも下記契約書では、所得の半分は強制的に貯金することになっている。
> 戦前公娼制度のもとでの年季契約の具体的内容についてはよく知らないが、
> 途中で病気休養しても 2年たてば前借金がなくなるとされている点、
> 食料だけでなく衣類や医薬費も抱主負担としている点で、通常の契約よりは
> 有利なのかもしれない。
> 稼高の一割が本人所得になるのは、だいたい当時の相場ではないかと思われる。
> 問題なのは年齢条項であり、16才から30才という条件は、娼妓取締規則が定める
> 「十八歳未満は娼妓たることを得ず」 に完全に違反している。
> また、日本が結んだ国際条約 「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」 (1925年批准)
> にも抵触する。
> この契約条件が、上海での軍・総領事館協議において承認されたものなのかどうか、
> そこが議論のポイントの一つとなろう。
> 私見では、この契約条件がまったく大内の独断で作成 されたとはとても思えない。
> 何らかの形で軍・総領事館警察との協議はなされていた
> ( たとえそれが契約条件は業者に任せるとの諒解であっても )、
> にちがいないと思われる。
> しかし、この年齢条件の一点をのぞいては、趣意書の文面といい、契約条件の内容といい、
> 公娼制度の現実を前提にし、さらに軍の慰安所が実在し、公認されうるものと仮定する
> かぎりでは、当時の感覚からはとりたてて「違法」あるいは「非道」 とは言い難い
> 内容の募集活動であったといわざるをえない。
なにもかもが今とは異なる当時の社会的な通念を通してみれば、稼ぎの1割しか手に出来ない酷い
契約内容であっても、そもそも無学の女性が働いて自分の食い扶持以上の金を稼ぐ方法なんて、売春
以外にありません。
今は、三六協定を超える残業時間があるだけで“ブラック企業”だと揶揄されますが、私が大学を卒
業した後に、自営業の父から 「 他人の釜の飯を食って来い 」 と言われてコネ入社した某製鋼会社
は、月の残業時間は百数十時間がアタリマエでした。 同期に入って、後にオタク仲間になった人の残
業時間は、月に二百時間を超えていました。 それで貰える賃金は、残業代に関しては上限三十時間
分だけ。 それを超える分は全てサビ残でした。
今の感覚から言えば凶悪ブラック企業だと思います。
それでも私が子供の頃に見た親父の会社はもっと壮烈なブラック零細企業でした。
父の会社で従業員として働いて下さっていた人達は、中学を卒業して和歌山から出てきた人達。
新入社員が家賃を払って独り暮らしするような高給はとても払えませんから、3階建ての自社ビルに
住み込みで働いて貰っていました。 母と祖母が三食を作って供給していましたが、繁盛期にお休みな
んてありません。
住み込みで働いている以上、帰路がありませんから、忙しい時は、それこそ日付が変わるまで仕事
をしていたそうです ( 「そうです」というのは、子供は早く寝るので、私の目撃談ではないから )。
確定しているお休みなんて、お盆と正月に二日ずつ。 それ以外の休みは、仕事の無い日だけです。
もちろん、休日がないのは、父も母も祖母も同じです。
そんな超絶ブラック企業でしたが、そもそも当時に楽な仕事なんかありません。
私が成人した頃には、新卒が中学校卒ではなくて高校卒となり、就職先の選択肢も増えた為に、父
は人材確保に随分と苦労していました。 しかし、私が幼かった当時は、予め和歌山の学校に電話して
おけば新卒の子を紹介して貰えました。 これは、当時は今の感覚で酷いブラックにしか見えない職場
しか就職先がなかった、ということの証左です。
当時は1ドルが360円という超絶円安の固定.相場でしたから、資源に乏しい日本の物価は決して安く
なく、庶民の生活は大変でした。 田舎出の中卒労働者を扱き使っていた我が家でも、今の感覚から
言えば金持ちではありませんでした。
当時に自家用車がありましたし、自社ビルまで持っていたのですから、一応は金持ちの範疇に居たと
思いますが、今の感覚で言えば中流の底辺あたりでしょうか。 当時は、肉を食うとかケーキを食うと
か、そういうのは特別な日でした。
僅か四十数年前でさえ、今とは完全に別世界。
ましてや、慰安婦なんて存在があった頃は、更に数段別の異次元世界です。
今の感覚で 「 酷い搾取 」 なんて言葉に何の意味もありません。
不当に搾取されていたのではなく、そんな酷い契約内容であっても、当時はそれが普通だったので
す。
さて、以上で論破終了 ・・・ と言いたいトコロですが、実は、この記事は違う意味でブーメランとなっ
て、泥 憲和氏の頭蓋 ( というか全ての史実派の頭蓋 ) に深々と突き刺さっているんです。
私が別のページで検証した
妄言の根拠をブッタ斬る!
2012年12月13日 Transnational History
■[資料][慰安婦]日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20121213
を読んで下さい。
「 私は騙されて此処(慰安所)に来た 」
とか
「 看護師に成れると聞いて来たのに、売春させられている 」
とか
そういう兵士が聞いた慰安婦の訴えに対して私は
兵士の同情を買う為に慰安婦が吐いた嘘である可能性
と
慰安婦の親や夫が娘や妻を騙して女衒に売る為に吐いた嘘
である可能性を提唱しました。
しかし、『慰安婦に成る』 と明記された契約書に慰安婦本人、もしくは慰安婦の親や夫が自筆したサ
インがあるなら、
「 私は騙されて此処(慰安所)に来た 」
も
「 看護師に成れると聞いて来たのに、売春させられている 」
も
兵士の同情を買う為に慰安婦が吐いた嘘
であり、または
慰安婦の親や夫が娘や妻を騙して女衒に売る為に吐いた嘘
であると確定します。
もちろん、『慰安婦に成る』 と明記された契約書へ記名した本物の売春婦、および親や夫に騙された
慰安婦とは別に、本当に業者に直接騙されて慰安婦にされた無辜の女性が居る可能性は、ゼロでは
ありません。
しかし、その可能性を提唱するのであれば、確たる証拠を以て証明しなければなりません。
つまり、『看護師に成る ( 売春婦以外の職種に成る )』 と明記された契約書です。
それが出せない時点でサヨクの負けなんです。
まぁ、負けを認めるとは思いませんけどw
■ 追伸 ■
しかしまぁ、なんだかんだ言っても、ちゃんとした学者が創った 『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―
忘却への抵抗・未来の責任』 ってのは、実に狡猾に計算されたサイトだったんだよねぇ。
査読して反証している時は、
「 コイツ、こんなことも知らないで学者を名乗っているのか 」
と呆れたけれど、
「 なんだ、『慰安婦に成る』 と明記された契約書があるんじゃんw
だったら、 『 私は騙されて此処(慰安所)に来た 』 だの
『 看護師に成れると聞いて来たのに、売春させられている 』 だのって大嘘じゃん 」
って突っ込みを回避するために、敢えて契約書には触れなかったんだから。
さすがですw
又候nobore12様から頂いた情報で恐縮すが、本ページにてBlogの妄言を検証対象されてしまった泥
憲和氏は、平成29年05月03日に63歳と云う若さでこの世を去りました。 心からご冥福をお祈りいたし
ます。
http://www.asahi.com/articles/ASK534K0NK53PIHB00F.html ( 魚拓 )
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