サヨクの単発妄言をブッタ斬る!

2017.06.15
慰安婦強制と軍の直接関与は 「歴史の事実」 である。

 amazonで、司法が認定した日本軍「慰安婦」―被害・加害事実は消せない!というサヨクが書いた本が売られていたので、買っていないのに、レビューを書いたトコロ、私が引用したレビュアーから、「ここを読め」とのコメントを頂いたので、此処で袈裟斬りにさせてい ただく。

 なお、いつもの通り、元記事の引用は青字にさせていただいた。

 では。 いざ、まいる。



 慰安婦強制と軍の直接関与は 「歴史の事実」 である。
 http://testimony-of-grandfather.webnode.jp/



 ★ 初めてこのサイトに来られた方へ−ここは何のサイト?

 はじめまして、私は根本 大(ネモト マサル)と申します。
 栃木県鹿沼市在住の46歳です(サイト作成時43歳)。
 ここは、実際に戦争を体験した私の祖父の体験談を綴ったサイトです。
 具体的には、チチハルでの匪賊の討伐、パラオでのアメリカ軍との戦闘、シベリア抑留、
 そしてチチハルの慰安婦や慰安所に関する証言が書かれています。
 私はこの祖父の証言を聞き、特に朝鮮人従軍慰安婦に関する部分に衝撃を受けました。
 そして、これは後世に伝えていかなければならないと思い、このサイトを作成した次第です。
 皆様の参考になれば幸いです。 ご意見・ご感想等ありましたらメールにてお寄せください。


 ★ 祖父の紹介

 私の祖父は 根本 長寿(ネモト チョウジュ)と申します。

 http://files.testimony-of-grandfather.webnode.jp/200000005-edb46eeae7/
 141027_1617~01a.JPG
 (平成26年10月27日、自宅リビングにて撮影)

 大正9年(1920年)3月1日生まれ。 サイト作成時94歳。
 このサイトには、祖父が94歳から96歳の時に聞き取った話が収録してあります。

 平成29年4月26日午前0時9分、祖父・長寿は老衰のため97歳にて永眠いたしました。


 ★ 祖父の軍歴

 大正9年3月1日生 最終階級:陸軍軍曹
 昭和16年3月 歩兵第59連隊要員現役兵として歩兵第66連隊歩兵砲隊に入営
 昭和16年3月 チチハル歩兵第59連隊到着 第2歩兵砲中隊に編入
 昭和16年9月 阿爾山(アルシャン)防衛隊交代要員としてチチハル出発
 昭和17年1月 阿爾山防衛隊勤務終了帰還のため阿爾山出発
 昭和17年1月 駐屯地チチハル着 同日より同地附近の警備
 昭和19年4月 パラオ諸島パラオ港上陸
 昭和19年4月 アンガウル島警備・パラオ本島警備
 昭和19年〜昭和20年 中部太平洋第1次〜第4次パラオ作戦に参加
 昭和21年1月 浦賀上陸 召集解除

 〜 「履歴証明書」より。(フォトギャラリーにUPしてあります)

 (※ お詫びと訂正・1) 


 ★ 朝鮮人慰安婦に関する証言の概要
 
 1、慰安婦強制と軍の関与は事実である。
 
 2、祖父の居た1940年代初頭のチチハルでは、
   業者ではなく軍が直接、朝鮮人集めや慰安所の設営を行っていた。
 
 3、朝鮮人の女の子達は皆、自分の意思に反して慰安婦をやらされていた。
   自主的な売春婦などではない。
 
 4、朝鮮人慰安婦=性奴隷 という表現はその通り。そういう扱いをされていた。
 
 5、この時代、日本軍は、朝鮮人を、男はドカタとして強制労働、女は慰安婦。
   完全に奴隷扱いしていた。 朝鮮には非常に悪いことをした。


 ★ 証言

 俺のじいちゃん、1941年の時に21歳で戦争へ行った。
 最初は満州のソ連との国境付近で警備に当ってて、何度か中国兵やソ連兵と武力衝突して
 戦ったって言ってた。
 で捕虜にされてシベリアに行った。
 そこは零下40度の世界で、原住民は横穴を掘ってそこに住んでいたと言っていた。
 収容所も建物ではなく小高い丘のような所の中腹に掘った横穴で、
 中は10度位で暖かかったと。
 で太平洋戦争末期、何らかの理由で解放されて、日本に帰れる予定だったのだが、
 急に太平洋のパラオ諸島(アンガウル島・パラオ本島)に行かされることになった。
 そこではアメリカ軍の艦砲射撃やら飛行機による爆撃・機銃掃射などで、
 あるいはマラリアや栄養失調などで、仲間が大勢死んだと言ってた。
 パラオ本島ではアメリカ軍は直接人間を上陸させてこず、
 白兵戦のようなことはほとんどなかったと言っていた。
 腹が減って畑の作物を無断で食べたら原住民に怒られて、後で金を払い許してもらった、
 パラオは当時日本の委任統治領だったせいか、原住民は日本人には非常に親切で
 優しかったと言っていた。 そして終戦、収容所生活を経て、1946年に生きて帰ってこれた。
 生き延びたのは本当に運が良かったと言っていた。
 で自分は、従軍慰安婦問題について色々と聞いてみた。
 それは本当にあったことなのか、業者がやっていたのではないのか、
 ただの売春婦ではないのか、証拠が残っていないのはなぜなのか、等々。
 するとじいちゃんはこのように証言してくれた。
 『 慰安婦強制と軍の関与はすべて本当のこと。 そして業者ではなく軍が直接やっていた。
  少なくとも満州で自分が居たところ(チチハル)には業者など居なかった。
  自分の所属していた宇都宮第59連隊

 

 また59連隊か (呆

 59連隊の生き残りの証言は、嘘ばっかりで検証するとグダグダに崩れると知らないのか。


   榎 本 正 代 証 言 ― 娘を殺害、油で揚げて副食に ―
   http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/yokuryu-sya-syogen/enomoto-masayo.html
   > 次は榎本 正代の「帰国後証言」を見てみます。
   > 小見出しにあるとおり、連れていた中国人の娘を慰みものにした後、
   > 副食が不足しているからといって殺害、肉を切り取って油で揚げるやら、
   > 焼いたりするやらして、1個中隊全員がお相伴にあずかるという日本兵による残酷物語です。
   > この話は抑留者の証言の特徴、それも際立った特徴を知るうえで格好のものと思いますし、
   > 何より頭の体操にうってつけと思います。 ぜひ、お考えください。
   >
   >
   > 1.新 井(榎本) 正 代 証 言
   >
   > ここに取り上げる話は、ときをおいて2度証言されました。
   > はじめは1971〜2年ころに書かれた 『 天皇の軍隊 』 (朝日文庫ほか) のなかで、
   > 2度目は 『 私たちは中国でなにをしたか 』 (三一書房ほか、1987年) のなかでです。
   > 前者は本多勝一・朝日新聞記者らの取材をうけて、後者は 「新井 正代」 の名で寄せた
   > 「投稿」 がそれです。 前者の『天皇の軍隊』の方がより詳細に記されています。
   > 「榎本正代」 と 「新井正代」 は同一人物です。
   > 中国抑留を経験していない戦友の間で、榎本姓は知られていませんでした。
   > このことが分かるまでに時間がかかったため、調査に大変手間どってしまいました。
   > それはともかくとして、話をすすめましょう。
   >
   >
   > (1) 人肉食事件の概要
   >
   > 人肉食といういまわしい出来事を、『 私たちは中国でなにをしたか 』 から取り出しますが、
   > 後の説明の便宜上、(その1) と (その2) の2つに分けて抜き出すことにします。
   > まず、作戦中の中隊、独歩第111大隊第2中隊がおかれた状況の説明、(その1)です。
   >
   > 〈 1945年4月、山東省東昌県において、私は指揮班長として中隊とともに作戦に出ていた。
   >  本部からの食料配給がとだえている上に、前に通過した各部隊が食糧になる物は
   >  みな略奪し尽くして、部落には穀物、野菜、豚、鶏など何一つ見つからず、兵隊たちは
   >  疲れはて腹をすかし、気持が荒れていた。 〉
   >
   > つづいて、犯行におよんだ経過と犯行の状況説明、(その2) です。
   >
   > 〈 私は2日前から18歳ぐらいの中国の娘を連行していた。
   >  自分の慰みものにしていたが、いずれは何とか処置しなければならぬことは分かっていた。
   >  このまま殺してはつまらない。 私は一つの考えを思いつき、それを実行した。
   >  私は娘を裸にして強姦し、その後、庖丁で刺し殺し、手早く肉を全部切り取った。
   >  それを動物の肉のように見せかけて盛り上げ、指揮班を通じて全員に配布したのである。
   >  兵隊たちは人間の肉とも知らずに、久しぶりの肉の配給を喜び、携行していた油で
   >  各小隊ごとに、揚げたり焼いたりして食べた。 〉
   >
   > この記述を額面通りに受け取るには、多くの疑問がでてくることでしょうが、
   > 先に進むことにします。
   >
   >
   > (2) 野田 正彰教授の診たて
   >
   > この話を大宅壮一ノンフィクション賞をとり、精神医学を専門とする
   > 野田 正彰 ・関西学院大学教授は何の疑問を持たずに信じきってしまいました。
   > とすると、学生はもちろん、ほとんどの大人も信じてしまうということなのでしょう。
   > この残虐事件を引き合いにして、野田教授が下した 「診断」 がありますので、
   > それをご覧にいれます。
   > 1997(平成9)年7月3日付の 「毎日新聞」 に掲載されたものがそれです(左写真)。
   >
   > 〈 「淳君殺害事件」を考える 〉 の表題のもと、2人の論者が論考を寄せています。
   > 「淳君殺害事件」 というのは、切断された小学生の頭部が校門のまえに放置され、
   > しかも 「さあゲームの始まりです」 とした 「酒鬼薔薇聖斗」 名の声明文が添えられていた
   > 猟奇的な出来事でした。
   > しかも犯人はこの小学校の生徒(14歳)とあって大騒ぎとなり、
   > ある週刊誌がこの生徒の顔写真を公表したことの是非、また少年の保釈の是非をめぐって
   > 長い間、議論がかわされました。
   > 2人の論者の1人、野田 正彰教授が
   > 「抑圧された暴力への視線 内なる残虐見すえる努力を」
   > という見出しのもと、新井(=榎本)証言を引用しながら、
   > この「 淳君殺害事件」 がなぜ起こったのか、その原因を解き明かそうと話をすすめています。
   > 野田教授は次のように書きます。
   >
   > 〈 私は1月より雑誌 『 世 界 』 に 『 戦争と罪責 』 を連載しており、
   >  毎日、日本兵隊の戦争犯罪の記録と付き合っている。
   >  例えば、第59師団第111大隊のある下士官は、次のような罪行を書きとめている 〉
   >
   > と前置きして、前述の書籍 『 私たちは中国でなにをしたか』 から新井証言 (その2) を
   > そっくり引用します。
   >
   > そして、以下の結論を導き出しています。
   >
   > 〈 信じがたい残酷さだ。
   >  だが、私たちはつい昨日のこれらの暴力について直視してこなかった。
   >  もし直視していれば、巷でしばしば聞く罵声を嫌悪し、子供たちが暴力と破壊と死にあふれる
   >  マンガやテレビゲームに熱中することに敏感になっていたのではないか。
   >  替わりに、友人との会話や男女の交際を豊かにするように、子供たちの環境を
   >  整えてきたであろうに、そう務めはしなかった。 〉
   >
   > とし、新井証言に見るような日本軍の残虐行為を直視してこなかったことが、
   > 「サカキバラ」 事件を引き起こす原因になったのだと指摘する診断になっています。
   > なお、証言 (その1) は人肉食事件にかかわった中隊の背景がわかるように、
   > 同書から私が引用したものです。
   > 読者はおそらく、淳君の殺害と日本兵の残虐との因果関係は忘れても、
   > 日本軍の 「信じがたい残酷さ」 だけは脳裏に刻みつけたことでしょう。
   > 雑誌 「世界」 に連載された 「戦争と罪責」 は、同名の単行本となりました。
   > この書は6人の中国戦犯の証言が主体で、その戦犯の一人、小島 隆男中尉 に
   > 最も多くのページが割かれています。
   > そして、中国人強制連行の話などを聞き出し、信じきっていますし、
   > 疑問を持ったようには思えない話の展開になっています。
   > また、野田教授はこの“人肉食事件”にこそ直接言及しませんでしたが、
   > 「戦争と罪責」 という題で NHKテレビに出演、あれこれと語っています(左写真)。
   > また、「戦争と罪責」 は朝日の社説 (1998年8月16日付け) でも取り上げられました。
   > 小島中尉の証言については、 ⇒ なぜ「罪の意識」が希薄なのか、および ⇒ 労 工 狩 り
   > をお読みください。
   >
   >
   > 2.榎本正代証言 ― 『天皇の軍隊』
   >
   > つづいて、『天皇の軍隊』 にでてくる榎本(=新井)正代証言です。
   > 朝日文庫本をお持ちのかたは371ページ以降をご覧ください。
   > 第59師団に所属する第111大隊第2中隊 (伊藤誠中隊長・少尉) は、
   > 1945(昭和20)年5月、とある山村に宿営します。
   > 少し長くなりますが、以下に引用してみましょう。
   > 『天皇の軍隊』 はこんな調子の話であふれかえった本と思って間違いありません。
   > また、榎本正代はこの他の出来事にも証言者として登場します。
   > 登場する証言のどれもこれも、この話に負けず劣らずの残虐ぶりで、事実なら
   > いかなる日本軍の言い訳も成り立ちえないと思います。
   > ですから、一般の読者に与えた衝撃はすさまじく、日本軍の昭和の歴史 (前半) を
   > 「決定的一冊」 になったことに疑いありません。
   >
   > 〈 第1日は前の部落から略奪してきた食糧で何とかまにあわせたが、2日で食いつくした。
   >  手にはいるものといえば、村の畑にわずかに残る野菜ぐらいのものである。
   >  主食類も秋の収穫時期にほど遠いこの春らんまんの季節だ。
   >  とりわけブタ・ロバ・ニワトリなどの動物性蛋白源が全く見当たらないのがこたえる。
   >  3日目の夕食の用意にとりかからなければならない時刻だった。
   >  指揮班長の榎本正代曹長にも着想がうかばない。
   >  「 今日はもう肉類が全然なくなっちゃたんでどうするかなあ 」
   >  と、中隊長の伊藤誠少尉(愛知県出身)に話しかけるともなく独り言を言った。
   >  「 そうだなあ、オイ、ひとつやっちゃうか 」
   >  と伊藤少尉が榎本曹長の顔をのぞき込むように言った。
   >  小柄だが目のクリッとした賢そうな青年だった。
   >  榎本曹長からみれば4、5歳若く、23、4歳の上官である。
   >  榎本曹長には 「 やっちゃう 」 の意味が、その瞬間よくのみこめなかった。
   >  「 仕方がない。 人間をやるんだ 」
   >  と少尉が曹長の表情に応えるようにつけ足した。
   >  中隊長はそう言い残して、宿舎として使っていた農家から出て行った。
   >  やっと榎本曹長にも、これから何事が起こるかよくわかった。
   >  ほどなく中隊長が戻ってきた。
   >  彼が連れてきたのは、年のころ17、8歳と見える中国人の娘だ。 この部落の農民だった。
   >  皇軍は3日前この部落に侵入したときに、部落に残っていた者をことごとく捕えた。
   >  男たちは 「苦力」 として皇軍の使役に使われようとしていた。
   >  女たちは 「尋問」 の名目で捕えておくのだが、尋問をされる風にも見えなかった。
   >  若い女性が十余人はいたはずである。 その1人がいま少尉に連れられて来たのだ。
   >  少尉が少女のうしろに回り どんと榎本曹長の方に突き飛ばすのと、
   >  曹長の短剣が少女の胸を刺すのと、ほとんど同時だった。
   >  さすが 「人殺しの名人」 を自認しているだけに、彼の腕は確かだ。
   >  短剣は正確に少女の心臓を突いており、彼女は悲鳴もあげずに、いま2人の足元に
   >  息絶えていた。
   >  武器に鉄砲やピストルを使わなかったのは、銃声で村人や他の皇軍兵士たちに
   >  知られてはまずいという判断からだった。
   >  2人は目配せをし合っただけで、無言のまま、たちまちにして少女を 「料理」 してしまった。
   >  最も短時間に 「処理」 できる部分として、2人は少女の太股の肉のみを切りとって、
   >  その場でスライスして油でいためてしまった。
   >  1個中隊分といっても、最前線にあっては70人ほどだったのだが、人肉の分量は
   >  意外に多く、各人にふた切れは渡りそうに思えた。
   >  中隊長は別の部屋に5個小隊の炊事班員を呼び集めていった ――
   >  「 今日は特別に大隊本部から肉の配給があったので各小隊に配ることにした 」 〉
   >
   > さて、どうでしょう。
   > 毎日新聞に載った証言と 『天皇の軍隊』 の証言とは違いすぎるとは思いませんか。
   > 同一人物の 「実 体 験」 にしては、「記憶違い」 とは性質が異なる、言いかえれば
   > 間違うはずもないことに間違いがでているのではありませんか。
   > 例えば、前者では榎本は中国人の娘を慰みものとして2日前から連れ歩いていたはずです。
   > なのに後者では副食がないからといって、中隊長が1人で部落から連れてきた娘だ
   > というのです。
   > また、前者では伊藤中隊長の姿はどこにも見当たらず、榎本曹長1人で強姦のうえ
   > 庖丁で殺害、肉を切りとって配給しています。 それに油で料理したのは兵隊たちでした。
   > 後者になると、殺害は中隊長と2人、しかも凶器は短剣となります。
   > そして肉をスライスし、油でいためるのも2人でした。
   > どうでしょう。 記憶違いという次元のものでないことは軍隊の経験がなくても判断がつきます。
   > 軍隊について、多少の経験、知識があれば 「なにを馬鹿な」 と苦笑いすることでしょう。
   > まず、中隊長が兵隊の副食を作る、この1点を知っただけでも
   > この 「証言」、だれも信じやしません。
   >
   >
   > 3.みなさん、正気なのでしょうか
   >
   > 中国戦犯の 「証言」 は異様な残虐行為が多いのです。
   > 榎本はとくにそうなのですが、「猟奇的な証言」 が目立ちます。
   > 1つ2つ、例をあげましょう。
   > 満期除隊になる兵士への土産話にと農夫を捕まえ、
   > 「 野菜庖丁で胸から腹まで絶ち割って見せた 」
   > というのです。
   > しかも、この 「勇猛」 ぶりが買われてか、昇進が早かったというのですから
   > なんとも言いようがありません。( 『天皇の軍隊』 63ページ )
   > また、こうも証言します。
   > 榎本は古年兵の命令で娘を裸にして逆さ吊りにし、
   > 納屋にあったスイカを初年兵にぶつけさせる。
   > 今度はボロ布にガソリンをかけると娘の局部にむりやり押し込んでマッチで点火する。
   > あとはやめときましょう。( 同62ページ )
   > これらの話、信じますか。 これも少し考えれば疑問点を指摘できるはずです。
   > 念のために記しておきます。
   > 榎本(新井)と同じ部隊にいた他の将兵とずいぶん連絡をとりましたが、
   > このような話を真面目に受け取る人はいませんでした。
   > そのうちの1人は、
   > 「 娘を食ったなどとんでもない。・・ だれも 『天皇の軍隊』 など信じていない。
   >  自分たちが一番よく知っていることだ 」
   > と青森県の弘前から電話をしてきました。
   > なぜこんな話がまかり通るのでしょう。
   > しかも、書店で堂々と売られているばかりか、学校教育の場に持ち込まれてさえする。
   > ノンフィクション賞をとった精神科医まで信じるばかりか説教の材料にまでする。
   > 由々しき問題とは思いませんか。
   > こうなったのも、話は簡単なことなのかもしれません。
   > 要するに、『天皇の軍隊』 の記述について、だれも調査・検証し、異議を唱えなかったから
   > でしょう。
   > 調べなければ、この本が中国抑留者だけの証言で成立していることに
   > 気がつくはずもありません。
   > そのうちに、NHKテレビ、朝日新聞 をはじめとする報道機関が抑留者を取材源にした
   > 「日本軍叩き」 の報道が多くなりました。 大勢は決まったのです。
   > でも忘れないでください。
   > 『天皇の軍隊』 は中国抑留者の 「証言」 だけによる 「59師団史」 だということを。
   >
   > ― 2005年 4月 4日より掲載 ―


   『天皇の軍隊』の証言者たち ― 隠された取材源 ―
   http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/tenno-no-guntai/tenno-guntai-index.html
   > 1.鬼畜以下の日本兵
   >
   > 『天皇の軍隊』 は日本軍が中国でいかに暴虐のかぎりをつくしたか、
   > 山東省に駐留した第59師団 (藤田茂・師団長)所属の将兵の 「証言」 によって
   > 明らかにされました。
   > およそ、軍の規律などないも同然、上から下までが目茶苦茶の連続でした。
   > 女と見れば、まず強姦、そして異様な方法をもっての殺害。
   > 男と見れば拷問、そして気に入らないからと殺害。
   > しかも、菜切り庖丁で胸から腹まで断ち割るという凄まじさ。
   > そのうえに、この蛮勇が買われて昇進が早かったというのですからお話にもなりません。
   > また、農民を根こそぎ抹殺するために、運河にコレラ菌を撒いて決壊させ、
   > 何万人、何十万人という犠牲者を出したというのですから、いかなる弁明も
   > 成り立つわけがないでしょう。
   > 師団といえば、シナ事変の前まで、内地における編成上の最高単位であったことからも
   > 分かるように、独立して戦略単位の兵を動かせる規模を有していました。
   > ですから、第59師団がこのような滅茶苦茶な部隊なら、他の師団も大同小異と考えて
   > 当然ですし、日本軍全体が無法というか、どうしようもない悪の集団ととるのが、
   > まあ当たり前というものでしょう。
   > 日本はアジアの解放に貢献しただとか、現地で電気を引き、道路の整備をするなど
   > 住民の生活向上に役立ったなどという話は、この本を一読した人なら誰も信じないでしょうし、
   > いかなる日本擁護論も 「なにを、たわ言をいっているのか」 と思ったことでしょう。
   > この本と 『中国の旅』 を合わせて読んだ人は、
   > 日本という国家に嫌悪感を持って当然でしょうし、罪の意識を合わせ持ったことでしょう。
   > また、日本の国家行動は 「侵略と残虐行為」 の連続であったなどという主張にも
   > 深くうなずいたことでしょう。 もう40年も前に出版された本の話です。
   > そして、この本を読んだ人やこの本で教えられた学生が大人になり、教師になり、
   > 子どもたちに受け継がれています。
   > また、今も売れつづけているのですから、日本人の歴史観など変わりようがありません。
   > 変える方法があるとすればただ一つと思います。
   > それは、事実でないならばそのことを立証し、広く国民に知ってもらうことです。
   > むろん、この方法とて必要条件であっても十分条件ではありえません。
   > ですが、必要条件さえ、いや必要条件の一部でさえ満たしていないのが現状です。
   > そのなかで悲憤慷慨したところで、答え(結果)など期待できるとは思えません。
   >
   >
   > 2.証言者は 「中国戦犯」
   >
   > 第59師団は1942(昭和17)年4月、独立混成第10旅団を基幹に編成されたもので、
   > 司令部を山東省の済南(さいなん)に置きました。
   > 済南といえば、2004年夏のサッカー・アジア大会で一騒動のあったところです。
   > この師団から、師団長の藤田 茂中将 と2人の旅団長(少将)を含め、約260名という
   > 大量の 「中国戦犯」 を出しました。
   > 抑留者(=戦犯)は全部で1,000人強でしたから、4人に1人はこの師団の将兵というわけです。
   > 藤田師団長は帰国後に抑留者で組織した 「中国帰還者連絡会」、
   > 略して 「中帰連」 (ちゅうきれん) の初代会長に就いています。
   > 中帰連はメディア、とくにNHK、朝日新聞 の情報源として活用されることになり、
   > 多くの学者もまた同様に情報源としています。
   > 『天皇の軍隊』 記述について、少し冷静に考えればその異様さゆえに
   > 逆に疑問がでてくると思います。 いや、まともに信じる方がおかしいのです。
   > 私もおかしな証言が多いと思い、大分前ですが、登場する将兵全員の出身を調べたことが
   > あります。 結果は予想していたとおりでした。
   > つまり、「残虐行為の証言者全員が中国戦犯 」 だったという事実です。
   > ですが、この 『天皇の軍隊』 には 「撫順戦犯管理所」 に抑留されていたことを
   > 明記している証言者もありますが、まったく書いていない人も数多く登場します。
   > 一般の読者は抑留者についての知識はあまりないでしょうし、あったとしても
   > 抑留者以外の将兵も証言しているようなので、記述は信用できると思うでしょう。
   > まさに、『天皇の軍隊』 は 「中国戦犯」 の語った59師団の姿だったのです。
   > そして、これら 「語られた事実」 に対して 「裏づけをまったくとっていないこと」 が
   > もう一つの特徴でしょう。
   > となれば、証言者が日本人と中国人という違いがあれ、『天皇の軍隊』 は
   > 『中国の旅』 の同類というわけです。
   > したがって、記述の一つでも 「虚偽である」 ことが判明すれば、他の記述についても
   > 疑うのは理の当然でしょう。 もっとも、虚偽証言と判明しているのは一つではありませんが。
   > 誤解のないように一つ記しておきます。 証言者のなかに抑留者以外の人も登場します。
   >
   《以下略》


 そして、貴殿はこうお書きですよね。

   そして終戦、収容所生活を経て、1946年に生きて帰ってこれた。
 
 収容所生活で脳を洗われた可能性を考慮する必要がありますね。

 後の方で

   Q、パラオではどのような生活をしていたか?

   A、普通に島の中で暮らしていた。
     やしの木の「シントウ」(やしの実がなる部分)を生で食べたら原住民に怒られた。
     他にもやしの実、バナナ、他の果物などを食べていた。
     敗戦後の「収容所生活」というのも、収容所という建物があったわけではない。
     島の中で普通に暮らしていただけだ。

 と書いておられますが、正直、信用できるとは思えません。 もちろん、孫が爺ちゃんの言う事を ― ― 裏付け資料があろうとなかろうと ―― 信用するのは個人の自由です。 ただし、私もまた“個人の 自由”として、59連隊の生き残りの証言だというだけの理由で、眉に唾を付けさせて頂きます。



 の中に、朝鮮人を連れてくる専門部隊があって、人数は数百人はいたと思う。

 

 満州で慰安所を開くのに何故朝鮮人なのか?と疑問に思わないのか。

 満州で慰安所を開くのだから、満州で人を集めれば良い。 当時は売買春も管理売春も完全無欠に 合法。 そして、日本本土でさえ女性の就ける職業はそう多くなく、その仕事で貰える給与もスズメの涙 だ。 女性が飢えた家族を窮地から救うことが叶う職業なんて売春しかない。 だから、満州でも朝鮮で も売春婦を集めようとしたら幾らでも集まる。 先日鬼籍に入ったとある職業サヨクの人が言っていたよ うに、戦後焼け野原になった日本でも多くの日本人女性が売春婦に身を窶して生き延びていたし、 後59年も経った2004年に、GDPは、世界第11位という立派な経済大国となった韓国でも、盧武鉉政権 下で施行された性売買特別法に因って売春を禁じられた売春婦が 「売春させろデモ」 を起こす程に売 春というのは、国と歴史を問わず普遍的な女性の職業である。

 であるにもかかわらず、わざわざ朝鮮半島から売春婦を連れてきた ―― 補給物資や火器弾薬を運 ぶための輸送船の大切な容積を割いて ―― からには相応の理由があると考えるべきである。

 では、相応の理由とは何か?

 ぶっちゃけ簡単な話である。

 今も当時も、当時よりももっと昔から朝鮮半島の女性にとって売春という商売は、ハードルが非常に 低かったのだ。


   2005年07月22日 徒然なるままにエッSAY!
   「チャングムの誓い」と李朝520年の身分制度
   http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/28635881.html

   《略》
   >
   > 奴婢制度は、1894年の甲午改革(日本の強力な指導)で廃止されるまで続いた。
   > しかし、なかなかその偏見は収まらず、
   > 現在でも「五姓」といって賎民の子孫とされる「姓」があり、
   > 結婚・就職などの障害が見られる。
   >
   >
   > ■ 李氏朝鮮時代には、どのくらいの「奴隷―奴婢」がいたのであろうか。
   >
   > これについては、現存する李氏朝鮮時代の「戸籍帳籍」は
   > 「山陰帳籍 1603 年、1630 年」と「大邸帳籍 1690 年-1849年」を分析すればわかる。
   > これらの「戸籍帳籍」は日本人研究者に公開されていないと聞くから
   > (次に韓国に行ったら確認してみる)、専ら、四方博京城大学教授(執筆当時)の
   > 「朝鮮社会経済史研究(中)」から引用する。
   >
  > ┌──────┬─────┬─────┐
  > │      │1690年│1858年│
  > ├──────┼─────┼─────┤
  > │ 両  班 │  7.6%│  48.6%│
  > ├──────┼─────┼─────┤
  > │ 常  民 │  51.0%│  20.2%│
  > ├──────┼─────┼─────┤
  > │奴婢(奴隷)│  41.2%│  31.3%│
  > └──────┴─────┴─────┘
   >
   > 人口はあまり変わっていないのに
   > 支配層の両班が1割程度から5割にまで増えているのは官職の売買があり、
   > 三代にわたって ≪ 良人(両班も含まれる) ≫ を冒称する者は
   > これが認められるという規定があったためとも言われている。
   >
   >
   >  *********************************************
   >
   >   「立ち直れない韓国」 黄文雄 1998年 光文社
   >
   >  朝鮮の社会革命の難しさの根源は、その伝統的な身分階級制度にある。
   >  甲申改革当時の金玉均ら改革派たちの主張によれば、
   >  朝鮮社会の門閥や封建的身分制度こそ不平等の根源、
   >  国政腐敗、国力衰弱の主因と指摘している。
   >  両班階級は、その能力や才能とは無縁な生まれつきの血縁関係によって規定される
   >  伝統的な身分制度であった。
   >  朝鮮半島は、1894年になって、ようやく「四民平等」を宣言した。
   >  そのときから、賎民(奴婢など)もやっと両班や良人と同じように戸籍を持つように
   >  戸籍法が改正された。
   >  しかし、甲午改革は「三日天下」ですぐに失敗した。
   >  朝鮮総督府は、実質的に法律によって階級差別廃止を行なったのであった。
   >
   >  李朝末期には、
   >  奴婢が公賎(官庁に所属した奴婢)と私賎(両班などに所有された奴婢)に分けられ、
   >  私賎は男子が少なく、女子がほとんどであった。
   >  婢(女の奴隷)は日韓併合当時、まだ一人三十円で売られていた。
   >  婢に特定の夫はおらず、
   >  何人かの間で替えていくのが風習であった。
   >  しかし、婢は主人の所有物であったから、その生まれた子供もまた主人の所有に属し、
   >  その子もまた転売されていくので、婢の子孫は、女子であれば、ほとんど世々代々
   >  奴隷として浮かぶ瀬あらんやといわれた(まさしく性奴隷)
   >  (『朝鮮農業発達史』『同・政策編』小早川九郎編著、友邦協会)。
   >
   >  朝鮮農民は、両班に差別され、白丁(被差別民)がまた農民に差別された。
   >  この階級社会ではトラブルが絶えなかった。
   >  このような朝鮮社会の病弊は、けっして一朝一夕で克服できる問題ではない。
   >  今日の韓国社会に至ってもそういえる。
   >
   《略》


 日本に併合される前、およそ1千3百万人の人口の内、約3割として、単純計算で390万人が奴隷階 級でした。

 その半分が女性、さらに半分が性行為が可能な年齢だと仮定しておよそ98万人もの“売春婦”とさえ 呼べない畜生未満の扱いを受ける性奴隷がいたのです。

 加えて朝鮮半島には古来から妓生という制度がありました。 日本の芸妓と同様に舞踊等の伝統芸 能を学んでお座敷(?)で披露する職業でしたが、同時に被管理売春婦でもありました。


   (妓生)売春は朝鮮の伝統文化
   http://sound.jp/sodaigomi/kankoku/ki-sen/ki-sen.htm
   > 妓生(きしょう、キーセン)
   > 現代では朝鮮半島の娼婦を指す言葉で一部が日本の芸妓に当たる。
   > 狭義では李氏朝鮮統治下、清の皇帝からの使者や高官を歓待するために準備された
   > 日本で言う花魁から遊女にいたるまでの女性賤民身分であった。
   > 初潮前の少女を妓生とすることも多かったが、日韓併合後に、
   > 少女を妓生とすることを禁止した。
   > 大韓帝国の時代までこの風習は続いたが、
   > 日韓併合後には日本によって日本の公娼制度に組み入れられた。
   > 妓生の起源は、新羅や高麗にさかのぼる。
   >
   > 明を支援した李氏朝鮮が清に敗北後に結んだ降伏条約により、
   > 清の使者を歓待する妓生は処女以外認められず、
   > 違反が発見されれば使者は罰則を言い渡す権利を持っていた。
   > 使者は妓生を母国に持ち帰ることもできた。
   > 李氏朝鮮では厳格な儒教思想が広まっており、
   > 処女ではない女性の結婚は非常に困難であった。
   > 幸運にも妾として迎え入れられる場合もあったものの、
   > 妓生になった場合、他の身分になることは困難であった。
   > 帰宅した場合、家族が一族の名誉のために女性を殺害していた。
   > 徴集とその後の事実上の奴隷化を避けるため、
   > 李氏朝鮮では早婚が常民以上の階級では一般化した。
   > 未婚の女性の徴集を避けるための賄賂が横行し、
   > 白丁の女性を略取し、身分を偽らせて差し出すこともあった。
   > 併合後も早婚の慣習は続き、他の男性との交友に対して慣習法が優先され、
   > 姦通罪が適応されたこともあった。


   http://ja.wikipedia.org/wiki/妓生 
   > 妓生とは、元来は李氏朝鮮時代以前の朝鮮半島に於いて、
   > 諸外国からの使者や高官の歓待や宮中内の宴会などで楽技を披露したり、
   > 性的奉仕などをするために準備された奴婢の身分の女性(「婢」)のことを意味する。


 つまり、今も昔も朝鮮半島には売春婦がウヨウヨいたわけです。

 そして、経験の少ない女性にとって性交とは痛みを伴う行為であり、昨日まで夫や恋人と週に1〜2 回セックスをしていいた人がいきなり売春婦になって、毎日十人以上も客を取るというのは、精神的に も肉体的にもハードルは低くありません。

 ですが、元々被管理売春婦であった朝鮮人女性ならばハードルは低いハズです。

 だから、満州の女性ではなくて、朝鮮半島の女性なのです。


 さらにいえば、↓これ↓

   > 自分の所属していた宇都宮第59連隊の中に、朝鮮人を連れてくる専門部隊があって、

 『朝鮮人を連れてくる専門部隊』 であって、『朝鮮半島で朝鮮人を狩ってくる専門部隊』 ではありませ んよね。

 “連れてくる” だけならタダの輸送部隊であって、仮に慰安婦や労働者が人身売買等の違法な手段 で集められていたとしても、その罪を犯したのは、朝鮮半島で仕事をした朝鮮半島の女衒であって、宇 都宮第59連隊の中あったとされる 『朝鮮人を連れてくる専門部隊』 ではありません。




 強制的に、朝鮮人の男はドカタなどの強制労働に、女は慰安婦にさせていた。

 

 “強制的に” というが、何を以て強制的というのか。

 先日に鬼籍へ入ったとある職業サヨクの人が示した通り、慰安婦は契約書に署名して慰安婦になっ ている。 もちろん、ドカタ等の肉体労働に就いた朝鮮人男性も同じだ。 当時は売買春も管理売春も 合法だったのだから、慰安婦という職業は今のサービス業と何も変わらない。 自分で選択した職業に 就いて働いただけだ。 我々が会社で働くのと同じ。 誰だって働かずに衣食住が賄えるなら働きませ ん。 七十余年前に併合によって日本人として扱われた朝鮮人も、今現在の私達も、金の為に強制的 に労働させられているのです。



 専門部隊のメンバーは、当時の自分よりずっと上の階級の人で、直接話などをしたこともなく、
 具体的にどこから朝鮮人を連れてきていたのか、などは残念ながら分からない。

 

 だから

   具体的にどこから朝鮮人を連れてきていたのか、などは残念ながら分からない

 のに、どうして日本兵が朝鮮半島で無辜の女性を狩って集めて来たみたいな話になってるんだよ。

 常識的に考えたら、戦後59年も経った2004年に、GDPが世界第11位という立派な経済大国となり女 性にも職業選択の自由があって、コンビニのアルバイトで糊口が凌げるようになった韓国で、盧武鉉政 権下で施行された性売買特別法に因って売春を禁じられた売春婦が 「売春させろデモ」 を起こす程に 売春というのは ―― 少なくとも朝鮮半島で暮らす女性にとっては ―― 極めて普遍的な普通の女性の 職業だったんだ。 だから、女性に職業選択の自由なんてなかった七十余年前に、日本の兵隊が銃剣 で脅さなければ、朝鮮半島の女性は誰も売春婦になんかならなかったなんて夢物語がどうして信じら れるのか。 その思考が理解できない。



 自分の仕事は、ソ連の戦車を撃つための大砲があって、その大砲を馬が引いていたのだが、
 その馬の鉄沓(蹄鉄)持ちだった、だから朝鮮人連行部隊とは直接関わりはなかった。
 朝鮮人は男はドカタとして、女は慰安婦や看護婦として、第14師団からこき使われていた。
 チチハルの慰安所は、建物(小屋)がいくつも並んでいて、そこに朝鮮人の女が住み込んでおり、
 日本兵はその小屋の中に入って性の相手をさせた。
 その慰安所だけで、朝鮮人慰安婦は200人は居たのではないか。
 自分も慰安所を利用したことが幾度もある。 それは上からの命令でやっていた。
 やりたくない者はいいがやりたければタダでやってよかった。
 自分は金を少しは持っていたので幾らかは女にあげたりもした。
 ある時建物に入ると、朝鮮人の女の子が出てきて、泣いていた。
 話を聞くと、戦地看護婦募集というのに応募してきてみたらパンパンにされた、との事。

 

 だから、その話を信じさせたいなら、戦地看護婦として働く旨の内容が記された契約書を持って来い っつーの。

 性風俗で遊んだ経験のない子供にゃ理解できないかも知れないが、売春婦というのは同情を買って 貢がせる為に嘘を吐くんだよ。


   妄言の根拠をブッタ斬る!
   2012年12月13日 Transnational History
   ■[資料][慰安婦]日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態
   http://123123.ehoh.net/page002.html

   > 騙された女性は本当に気の毒だが、なかにはこんな話もある。
   > 「 『従軍看護婦募集』 と騙されて慰安婦にされた。 私は高等女学校出身なのに 」
   > と、兵士や下士官を涙で騙して既定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。
   > また、それを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である


 実際問題、この続きで貴殿はこう書いておられるじゃないか。


   Q、金はどのくらい慰安婦にあげたのか

   A、当時は一ヶ月分の給料は約2百円だった。
     現在のお金で言うと2〜3万くらいじゃないか? それを全部、慰安婦にあげたりした。


 なんで既定の料金以外に金を渡すんだよ。 同情したからだろ。


 ※ ちなみに、大東亜戦争当時の200円は、今の貨幣価値に換算すると1941年で約75万円,
   終戦年の1945年で約38万円です。
   単にボケている可能性が高いと思うけど、こういう齟齬が出て来ると途端に話に信憑性が
   なくなりますねぇ。

     2006年08月12日 YAHOO!知恵袋
     戦争中の100円は今でいうとどれぐらいの価値があったのでしょう?
     https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q149008099



 お前何歳だ、と聞くと17歳と答えた。
 自分は彼女に対し、
 『 と言っても日本に逆らったら殺されるんだからしょうがないじゃないか、慰安婦やりなさい 』
 などと教え諭した。
 女性はみな10代〜20代くらいで、強制的に慰安婦をやらされていたものだから皆泣いていた。
 一番若い女で、大体15〜16歳くらいから連れてこられていた。
 また野戦での慰安所は、登山のキャンプに使うような小型のテントだった。
 そこには全員朝鮮人を連れて行っており、日本人も中国人もロシア人もいなかった。

 慰安婦強制は悪いことだと思わなかったのか?と自分は聞いた。
 『 思わなかった。
  当時は、武力で相手国を倒して領土と資源を奪うこと、
  それが大日本帝国のため、お国のため、という考えだった。 みんなそうだった。
  そのために相手国の人間を殺すことは悪いことだと思わなかった。
  殺人を悪いと思わなかったくらいだから、無理やりもしくは騙して連れてきた女と
  セックスすることなど悪いとは思わなかった。
  むしろこの女は日本の兵隊のために役に立っているのだから良いことだと思った。』

 ( この会話の冒頭、祖父は 「悪くねえんだよ!」 と一瞬、気色ばんだように答えた。
  そしてしばらくして 「いや、悪いことだわな」 と訂正した。
  当時の考えが頭に残っていて、自分の行為を非難されたように感じたのだと思う )

 『 それに朝鮮は当時、日本の「属国」だったから、
  日本人は朝鮮人を一段下に見ていた、というより完全に奴隷扱いだった、
  だからそういうことをしたんだ。
  銃を持っている軍人が沢山いたわけだから、慰安婦は逃げ出すことなど出来なかった、
  見つかれば銃殺されるか連れ戻されるか、実際殺された女も居た。
  とにかく当時の日本の軍人は、「日本の言うことを聞かないと殺す」 というやり方だった。
  だから、日本は今北朝鮮の拉致問題をどうこう言っているが、
  もともとは日本が朝鮮にそういうことを、いやもっとひどいことをしたんだ。
  だから慰安婦の強制性と旧日本軍の関与を認めた河野談話は正しい、
  カイロ宣言にある 「奴隷状態ナル朝鮮ノ人々」 という表現もその通りだ。』

 

 なんじゃそりゃ。 脳味噌を洗われた中帰連の証言そのまんまじゃねーか。



 その他、次のような証言をしてくれた。

 ・ 中国人は、日本軍が近づくと若い女をみんなどこかに隠した
  (見つかると連れて行かれてしまうから)、だから後に残ってるのは婆さんばかりだった。

 ・ 自分が駐屯していたのはチチハルの郊外。
  名前は忘れたがかなり大きな川があって、その近くに駐屯していた。
  チチハルはかなり大きい町で、現在の宇都宮くらいはあったんじゃないか、
  自分の駐屯していたところからチチハルの街中までは数キロだった。

 ・ チチハルの街中には日本人女性も自分で慰安所を経営してる人がいて、
  自分はそういう所にも遊びに行った。

 ・ 慰安所があったのはチチハルでの話で、シベリアやパラオには無かった。

 ・ 朝鮮人慰安婦=性奴隷 という表現はその通りだ。そういう扱いだった。

 ・ チチハル郊外には、中国人の「匪賊」と呼ばれる人たちが居て、
  彼らは普段は農業をやっているが時には武装して日本兵を攻撃したり中国人を襲って
  略奪などをやっていた

 ・ 奉天あたりまでは戦争の痕跡はなかったが、
  チチハルでは郊外に満州事変の時の戦闘の痕跡が残っていた

 ・ チチハルの住民は当然中国人で、当時は日本が満州を統治していたが、
  自分が行った時は反日・抗日運動などは無かった
  ( ※ 現在でもチチハルと宇都宮市は友好都市関係にある。wiki参照)

 ・ 地元の知人がシベリアからパラオに行くとき、自分とは別の船に乗ったが、
  その人の船は台湾沖でアメリカ軍の魚雷攻撃を受けて沈没した、当然その人も死んだ。
  自分はかなり遠回りな航路の船に乗ったので助かった、これも運が良かった。


 《その他、Q&A》

 Q、日本とソ連は終戦間際まで不可侵協定を結んで戦ってないのに何故捕虜になったのか?
   また、なぜ解放されたのか?

 A、自分のいた歩兵59連隊はまず1940年にチチハルに行って、
   名前は忘れたが大きな川のほとりに行って駐屯していた。
   そして「匪賊」の討伐をした。
   (慰安婦で女遊びをしていたのはこの時期のこと)
   そこにソ連軍が攻め込んできて、捕まってシベリアに連れて行かれた。
   59連隊の中でだいたい500〜600人程度捕まったのではないか。
   それは日ソ中立条約(1941年4月締結)の前の話で、シベリアには3〜4年居た。
   解放された理由は忘れてしまって思い出せない。(※訂正・2


 Q、当時、日本軍が朝鮮人を強制連行していることは日本国民は知っていたのか?

 A、それは知らなかったと思う、秘密にやっていた

 

 だったらなんで、輸送隊よりも階級が低かったお前の爺ちゃんが知ってんだよ。

 そもそも秘密にやるも何も、公に募集していたんだ。

   2006.09.29 Fri 20:06
   慰安婦募集の広告
   http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-114.html

 もちろん、公募とは別に朝鮮人女性が狩られて無理やり慰安婦にされた可能性だって無いわけでは ない。

 しかし、それさえも行っていたのは不逞朝鮮人の業者です。 日本政府は当時に自分の傀儡政権で あった朝鮮総督府を通じて取り締まりさせて実績を挙げていました。

   2014年08月13日 保守速報
   【証拠画像】 当時の朝鮮人による人身売買、それを止める日本の警察の新聞記事
   http://hosyusokuhou.jp/archives/39612696.html

   > 845:名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/08/11(月) 14:33:05.98 ID:VONjwoWY0.net
   > これを保存してコピペしまくれ
   > 画像もローカルに保存しといて
   >
   > ■ 当時の朝鮮人による人身売買、それを止める日本の警察の新聞記事■
   >
   > 東亜日報(1939.03.28)50人余りの娘が朝鮮人人身売買団に引っかかり、
   > 北支や満州に娼妓として売られるも、日本の警察が救出する
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/0/b/0b66d06b.jpg
   
   >
   > 毎日新報(1936.05.14)農村の婦人を誘引した犯人を検挙 
   > 女性を満州に娼妓として売却しようとしていたところを日本の警察が検挙 
   > 女性を救出する 4人の女性が魔の手を脱する
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/5/8/58cd1bfd.jpg
   
   >
   > 東亜日報(1939.8.31)悪徳紹介業者の横暴 誘拐した農村女子の数は100人以上全員、
   > 日本の警察が救出
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/9/2/92e15abd.jpg
   
   >
   > 毎日新報(1936.07.09)娘を誘引し、売春を強制した行商魔女の罪状 純真な女性を誘引し、
   > 中国人に売春を強要 日本の警察が検挙し、被害女性たちを救出
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/a/3/a302a471.jpg
   
   >
   > 東亜日報(1935.03.07)中国上海暗黒街に朝鮮人女性が約2000人これら、
   > 遠征売春婦のために朝鮮人の威厳が損なわれる しかし、これに対策を打つことは
   > できない なぜなら、経済的な問題で自発的に労働しているから
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/1/a/1a753d9f.jpg
   
   >
   > 東亜日報(1933.07.01)少女誘拐団のトップを逮捕 
   > 主に幼い少女たちを誘い出し、売春宿に売り飛ばしていた
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/3/3/331719e3.jpg
   
   >
   > 毎日新報(1936.02.14)朝鮮人たちが女性を誘拐し、娼妓として売却 
   > 日本の警察が発見し逮捕
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/6/1/610986b1.jpg
   
   >
   > 東亜日報(1939.08.05)処女貿易の誘引魔 日本人女性を誘引し、
   > 中国に売り飛ばそうとしているところを日本の警察が検挙
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/5/b/5bf0aefe.jpg
   
   >
   > 毎日新報(1939 03 28)農村処女を誘引し、100人余りを売り飛ばす朝鮮人拉致団
   > これを日本の警察が検挙し、女性たちを救出
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/5/e/5eba21b2.jpg
   

   > 851:名無しさん@0新周年  2014/08/11(月) 14:34:54.94 ID:gT2OdmPN0.net
   > >>845
   >
   > 日本の軍の関与は、むしろ人権尊重のための関与だったんじゃないか。
   > 今まで左翼に騙されてたよ。 腹立つー

   > 858:名無しさん@0新周年  2014/08/11(月) 14:36:42.77 ID:VONjwoWY0.net
   > >>851
   >
   > 公開で慰安婦募集:強制性無し
   > 違法な人身売買業者:日本国内でも取り締まり
   > 違法な人身売買業者:朝鮮でも取り締まり
   >
   > 三段構えで強制連行を阻止していた


 ■ 動画版

 韓国朝鮮女性を守った日本【日韓併合の朝日報道記録】
 http://youtu.be/TILv7T7ylH0
 560x315
 


 誘拐や人身売買で連行されていくルートを準備していたのは、不逞朝鮮人悪徳女衒。

 日本政府も傀儡政権《朝鮮総督府》も取り締まっていた側です。



 Q、慰安婦問題は、なぜ戦後45年間も問題にならなかったのか?

 A、当時の朝鮮人は奴隷的な扱いをされるのをやむを得ないというか仕方がないこと、という
   感覚が染み込んでいたのではないか、
   だからそもそも慰安婦制度を問題視しなかったのではないか

 

 日本人中学生が朝鮮女学生をからかっただけで、1年以上に渡って朝鮮全土で反日学生運動を
展開する瞬間湯沸かし器民族の何処に奴隷根性があるんだよ。


   http://ja.wikipedia.org/wiki/光州学生事件
   > 1929年10月30日、全羅南道の羅州行きの列車で
   > 日本人中学生生徒の福田修三らが朝鮮人女子生徒の朴己玉らをからかったとして、
   > 朴己玉の従兄弟の朴準?が福田を殴り、日本人生徒と朝鮮人生徒の間に決闘が始まった。
   > この際、警察が朴準?と朝鮮人生徒だけを逮捕したので、生徒の不満が高まった。
   > これが原因となり、11月3日、朝鮮人生徒らは日本の警察や歪曲報道をした光州日報に
   > 抗議をし、また朝鮮人学生と日本人学生の衝突が発生し、警察が朝鮮人学生を検挙した。
   > このことが光州高等普通学校の高校生を激高させ、検挙者の釈放を求めるとともに
   > 日本による植民地政策を批判して示威運動を展開した。
   > その中の250人の朝鮮人が逮捕され、朝鮮人生徒らは同盟休学を結成し、日本に抗議した。
   > この学生運動に際して、民族主義者と社会主義者の連帯によって結成されていた新幹会が、
   > 現地に調査団を派遣して事件の実態を公表する大会を準備したが、
   > 警察による弾圧によって失敗に終わった。
   > しかしながら、この運動は朝鮮各地で1930年まで続き、4万人以上の学生を動員した。


 慰安婦制度が問題視されなかったのは、その中身に違法性が全くなかったからだ。

 だからこそ、冤罪ふっかけ放題だった極東国際軍事裁判(東京裁判)でさえも、俎上に載ることはな く、1950年6月に勃発した朝鮮戦争に於いて、韓国版慰安婦が採用され、敵国の民間人女性や女性兵 士を狩って慰安所に囲って性奴隷として扱ったんだ ( 軍人が軍命に基づいて売春婦ではない女性を 狩っていたので、原則が任意の応募であった日本版慰安婦制度と異なり、韓国版慰安婦制度は完全 無欠に違法です )。



 Q、軍が強制連行や詐欺による誘拐などをやった証拠は一切ないらしいけどどういうこと?
  ( ※ 私が無知だったがための間違い;実際には存在している)

 A、それは分からない。 証拠が残らないようにやったか、隠滅したんじゃないのか。
   師団・中隊・連隊等それぞれに、部隊の行動などを指示する事務専門の部署があって、
   大東亜戦争に負けた後、そこが日本に都合の悪い証拠書類をまとめて燃やして隠滅した、
   という話は聞いたことがある
   ( ※ 歴史学者の林博史 教授にも聞いてみました;
    林教授の回答 :
    「 北朝鮮の拉致問題にしても、拉致を指示した文書や拉致現場の映像がどこにあるか。
     軍隊といえど官僚組織であり、合法性に問題のある行為をする時には
     証拠を残さないようにやるのが普通。
     事実を実証する手続きにしたがって行われた研究によるかぎり、
     それを否定するようなものはない。
     詳しくはここを参照してほしい http://fightforjustice.info/ とのことでした )

 

 まぁ、此処は強烈な逆CEO対策されているからねぇ。 滅多な事では検索サイトにHITしないから、知 らなくてもしょうがないんだけどさ。

 そのサイト、完全に論破済みですから。

   webサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬る
   http://123123.ehoh.net/page136.html

 膨大なテキスト量なので、本等を読むことに慣れていないと読破するのは難しいかも知れません。 し かし、此処にはサヨクの妄言をほぼすべて叩き潰してありますので、慰安婦問題に興味がおありでした ら是非お越しください。



 Q、今、韓国は10万〜20万人の女性が強制連行されたと言っているがその数値は本当か?

 A、そうだな。
   いろんな部隊が朝鮮人を連れてきていたわけだから、全体としてそういう数も有り得る

 

 バカですか?

 兵隊さんは朝鮮人女性とセックスするために戦地に赴いているのではありません。

 慰安婦の任期は半年〜2年。 任期を終えても帰らずに稼いだ慰安婦もいましたが、同じ売春婦が 何度も稼ぎに来た延べ数として10万人とか20万人はありえても、同時に10万にとか20万人なんて売春 婦が稼ぎに来られる程、日本兵は多くいません。


   2007年07月08日 にゃんこ先生の学習帳
   日本軍は何人いたのか?(瞬間風速/累計)
   http://d.hatena.ne.jp/nyankosensee/20070708/1183879352



 Q、朝鮮人は、そういう大規模な強制連行に抗議しなかったのか、
   それに、中国人がやったように、女を隠すとか逃げるとかすれば良かったじゃないか。

 A、逃げられないよ。 それに抗議も出来ない。
   当時の朝鮮は日本の属国だったし、
   当時の日本軍は『日本に逆らえば殺す』という態度だった、
   それに朝鮮の各地方ごとに軍隊を駐留させて武力で朝鮮を監視・制圧していた
   (いわゆる「武断政治」)
   だから当時の朝鮮人は日本に逆らったり逃げたり隠したりはできなかった。

 

 だから、どうしたらそんな朝鮮半島で、何でこんなことが起こり得るんだよ?


   http://ja.wikipedia.org/wiki/光州学生事件
   > 1929年10月30日、全羅南道の羅州行きの列車で
   > 日本人中学生生徒の福田修三らが朝鮮人女子生徒の朴己玉らをからかったとして、
   > 朴己玉の従兄弟の朴準?が福田を殴り、日本人生徒と朝鮮人生徒の間に決闘が始まった。
   > この際、警察が朴準?と朝鮮人生徒だけを逮捕したので、生徒の不満が高まった。
   > これが原因となり、11月3日、朝鮮人生徒らは日本の警察や歪曲報道をした光州日報に
   > 抗議をし、また朝鮮人学生と日本人学生の衝突が発生し、警察が朝鮮人学生を検挙した。
   > このことが光州高等普通学校の高校生を激高させ、検挙者の釈放を求めるとともに
   > 日本による植民地政策を批判して示威運動を展開した。
   > その中の250人の朝鮮人が逮捕され、朝鮮人生徒らは同盟休学を結成し、日本に抗議した。
   > この学生運動に際して、民族主義者と社会主義者の連帯によって結成されていた新幹会が、
   > 現地に調査団を派遣して事件の実態を公表する大会を準備したが、
   > 警察による弾圧によって失敗に終わった。
   > しかしながら、この運動は朝鮮各地で1930年まで続き、4万人以上の学生を動員した。


 お前の爺ちゃんの話が本当なら、抗議している朝鮮人を全員射殺して終わりじゃねーか。



 Q、シベリアで何をして暮らしていたか?

 A、ソ連軍の戦車や兵器を入れておくための壕(横穴)を掘ったりしていた。
   つまり強制労働。 ロシア人の言うことを聞くしかなかった。
   横穴の収容所の中での暮らしは原始時代のような暮らしだった。


 Q、何人くらいの女と遊んだのか

 A、10人〜20人くらい。


 Q、連行の方法は騙す以外に何があったのか。
   借金のカタに縛られたり、貧困のために親に売られた女性なども居たと聞いているが?

 A、自分のような一兵卒には分からない。もっと上の人でないと。

 

 じゃあ、騙されたという話も本当の事かどうかわからないよね。

 どうして、騙されたという話が本当だと断言できるの? おかしいよね。



 Q、看護婦募集に応募して騙されたという女以外にどういう朝鮮人の女性が居たか?

 A、自分の記憶にはっきり残っているのはその女だけだ。
   騙されて連れてこられたというケースが一番多かったと思う。
   当時の朝鮮では日本語教育をやっていたし、話し方や仕草で朝鮮人だと分かった。

 

 たった一件の例を以て全体を語るとは何という出鱈目。

 慰安婦が 「私は騙されて此処に来た」 って言うのを、貴殿の爺様は同情した挙句に給与を丸ごと慰 安婦に差し上げているんだから、そりゃ他の慰安婦だって 「私も騙されて此処に来た」 って言うのは当 然だよな。 だって、輸送隊員でなければ慰安婦を調達した人間 ( 業者なのか日本兵なのか分らな い ) と接触できないんだから、どんな嘘を吐こうが確認のしようがない。 ⇒ 嘘吐き放題じゃん。



 Q、女が妊娠したらどうしたのか

 A、分からない。ただ、軍から避妊具(サック)の支給はあった。


 Q、女が病気になったりしたらどうしたのか

 A、衛生兵が居て、そういう女はどこかに連れて行かれた。
   入院させられたのか、死んだのか、その辺は分からない。
   その辺はおそらく上級の人間が秘密に処理していたと思う。
   仲間うちで、「こないだ行った時あの女居なかったなぁ」 などと喋り合っていた。

 

 だからなぜ、そこまで何も知らないのに、「上級の人間が秘密に処理していた」 ということになるの か。

 完全に何の根拠もない妄想ではないか。

 こんなものが歴史を証明する証言だと思えるのは異常だぞ。



 Q、慰安所から逃げ出す女は居なかったのか

 A、慰安所の周りを、銃を持った兵隊が取り囲んでいた。 逃げられなかったと思う。


 Q、チチハルは大きな都市だったらしいが、慰安所はチチハルの一箇所に固まっていたのか、
   それとも散在していたのか

 A、一箇所に固まっていた。町外れの、農家の、草畑みたいなところ、
   なるべく人目につかないところに建物(小屋)をいくつも建てて、
   そこに連れてこられた朝鮮人慰安婦が住み込んで慰安所をやっていた。
   慰安所の設営は連隊が主体になって秘密にやっていたのだと思う。
   当時の日本国民は知らなかったことだ。
   チチハルのその慰安所だけで朝鮮人慰安婦は200人は居たと思う。

 

 だから、秘密も何も慰安婦は公募されていたんだっちゅうの。

   2006.09.29 Fri 20:06
   慰安婦募集の広告
   http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-114.html

 そして、それとは別に不逞朝鮮人女衒が違法な手段で慰安婦を集めていたが、こちらは日本政府が 朝鮮総督府を通じて警察に取り締まりをさせており、その成果が当時の新聞に載っている。

 はい、もう一度。


   2014年08月13日 保守速報
   【証拠画像】 当時の朝鮮人による人身売買、それを止める日本の警察の新聞記事
   http://hosyusokuhou.jp/archives/39612696.html

   > 845:名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/08/11(月) 14:33:05.98 ID:VONjwoWY0.net
   > これを保存してコピペしまくれ
   > 画像もローカルに保存しといて
   >
   > ■ 当時の朝鮮人による人身売買、それを止める日本の警察の新聞記事■
   >
   > 東亜日報(1939.03.28)50人余りの娘が朝鮮人人身売買団に引っかかり、
   > 北支や満州に娼妓として売られるも、日本の警察が救出する
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/0/b/0b66d06b.jpg
   
   >
   > 毎日新報(1936.05.14)農村の婦人を誘引した犯人を検挙 
   > 女性を満州に娼妓として売却しようとしていたところを日本の警察が検挙 
   > 女性を救出する 4人の女性が魔の手を脱する
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/5/8/58cd1bfd.jpg
   
   >
   > 東亜日報(1939.8.31)悪徳紹介業者の横暴 誘拐した農村女子の数は100人以上全員、
   > 日本の警察が救出
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/9/2/92e15abd.jpg
   
   >
   > 毎日新報(1936.07.09)娘を誘引し、売春を強制した行商魔女の罪状 純真な女性を誘引し、
   > 中国人に売春を強要 日本の警察が検挙し、被害女性たちを救出
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/a/3/a302a471.jpg
   
   >
   > 東亜日報(1935.03.07)中国上海暗黒街に朝鮮人女性が約2000人これら、
   > 遠征売春婦のために朝鮮人の威厳が損なわれる しかし、これに対策を打つことは
   > できない なぜなら、経済的な問題で自発的に労働しているから
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/1/a/1a753d9f.jpg
   
   >
   > 東亜日報(1933.07.01)少女誘拐団のトップを逮捕 
   > 主に幼い少女たちを誘い出し、売春宿に売り飛ばしていた
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/3/3/331719e3.jpg
   
   >
   > 毎日新報(1936.02.14)朝鮮人たちが女性を誘拐し、娼妓として売却 
   > 日本の警察が発見し逮捕
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/6/1/610986b1.jpg
   
   >
   > 東亜日報(1939.08.05)処女貿易の誘引魔 日本人女性を誘引し、
   > 中国に売り飛ばそうとしているところを日本の警察が検挙
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/5/b/5bf0aefe.jpg
   
   >
   > 毎日新報(1939 03 28)農村処女を誘引し、100人余りを売り飛ばす朝鮮人拉致団
   > これを日本の警察が検挙し、女性たちを救出
   http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/5/e/5eba21b2.jpg
   

   > 851:名無しさん@0新周年  2014/08/11(月) 14:34:54.94 ID:gT2OdmPN0.net
   > >>845
   >
   > 日本の軍の関与は、むしろ人権尊重のための関与だったんじゃないか。
   > 今まで左翼に騙されてたよ。 腹立つー

   > 858:名無しさん@0新周年  2014/08/11(月) 14:36:42.77 ID:VONjwoWY0.net
   > >>851
   >
   > 公開で慰安婦募集:強制性無し
   > 違法な人身売買業者:日本国内でも取り締まり
   > 違法な人身売買業者:朝鮮でも取り締まり
   >
   > 三段構えで強制連行を阻止していた


 ■ 動画版

 韓国朝鮮女性を守った日本【日韓併合の朝日報道記録】
 http://youtu.be/TILv7T7ylH0
 560x315
 


 新聞に載ってるんだから知ってるに決まってるだろ。



 Q、チチハル以外の満州の諸都市にも慰安所はあったのか

 A、自分は日本を離れ、大連から奉天、そしてチチハルに行った。
   大連や奉天にはあまり駐屯していなかったので分からない。
   しかし、チチハルにあったくらいだから、ハルビンなど大きな都市には
   もっとあったのではないか?


 Q、殺された慰安婦の女は、どういう時に殺されたのか。逆らったりした時か。

 A、自分らは殺すなどという事はしなかったが、
   59連隊の中で、満州事変に参加した連中、つまり自分らの前に行っていた連中は、
   そういうことをしたと聞いている。
   朝鮮人も支那人も酷い目にあわされたと聞いている。
   自分は、看護婦募集に応募して来てみたらパンパン屋にされたという
   少女がかわいそうになり、給料をもらった時、そこから金を渡したりした。

 

 まんま


   妄言の根拠をブッタ斬る!
   2012年12月13日 Transnational History
   ■[資料][慰安婦]日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態
   http://123123.ehoh.net/page002.html

   > 騙された女性は本当に気の毒だが、なかにはこんな話もある。
   > 「 『従軍看護婦募集』 と騙されて慰安婦にされた。 私は高等女学校出身なのに 」
   > と、兵士や下士官を涙で騙して既定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。
   > また、それを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である


 ですね。



 Q、大東亜戦争が終わったとき、朝鮮人慰安婦の女はどうなったのか?

 A、自分はシベリアからパラオに行ったのでその辺は分からないんだ。
   全体として、朝鮮人を慰安婦にするというのは、大日本帝国政府が決定し、
   そこから各師団に連絡が行き、さらに朝鮮に連絡が行って、看護婦募集などという名目で
   朝鮮人女性を騙して召集し、慰安婦にした、そういう流れだったのだと思う。
   自分が行くより昔は、日本人の慰安婦ももっと居たのだけれど、
   満州事変や日中戦争の勃発などで内地に帰ってしまった。
   その代わりに朝鮮人を集めてきたんだ。
   また、チチハルには日本から来た開拓団も生活していて、
   彼らは土地を開墾し、農業をやっていた。
   でも大東亜戦争が始まると日本人はみな日本内地に帰ってしまった。
   でも朝鮮人は帰さなかった。
   当時、朝鮮人は、男はドカタで強制労働、女は慰安婦。 本当に奴隷扱いだった。

 

 じゃあ、日本人はどうだったんだ。

 当時は徴兵制があったので、ある程度の年齢以上の男性なら過去に軍事教練を受けていたとはい え、赤紙一まで戦場に駆り出され、圧倒的な物量差で、大規模な戦闘になれば八割が生きて還れない 殺し合いを強要されたんだ。

 ドカタで強制労働? 上等じゃん。 殺し合いに加わらずに済むなら喜んでドカタさせて頂くわ。

 慰安婦? 上等じゃん。 八割が死ぬ様な殺し合いをせずにすむなら、喜んでこの未使用のアナルを 捧げさせて頂きますっての ( ※ 注意 : わたくし、圭坊はノンケのロリコンです )。



 ( ここまで、2014年9月26日までの更新分 )


 《 突っ込まずに記事だけ載せると転載の扱いになる可能性がありますので、
  ここから先は突っ込む部分だけ引用します。
  全部を読みたい奇特な貴兄は、引用元 http://testimony-of-grandfather.webnode.jp/ を
  ご参照ください。》


 Q、朝鮮人集めや慰安所の経営に、「業者」 は携わっていなかったのか。
   本当に業者を見たことはないか。

 A、うん、やはり業者というのは見たことがない。 軍が直接やっていたんだと思うよ。

 

 貴殿の爺様が見たのは輸送隊の兵士であって、慰安婦と契約した女衒ではない。

 最初に


   ★ 祖父の軍歴

   大正9年3月1日生 最終階級:陸軍軍曹
   昭和16年3月 歩兵第59連隊要員現役兵として歩兵第66連隊歩兵砲隊に入営
   昭和16年3月 チチハル歩兵第59連隊到着 第2歩兵砲中隊に編入
   昭和16年9月 阿爾山(アルシャン)防衛隊交代要員としてチチハル出発
   昭和17年1月 阿爾山防衛隊勤務終了帰還のため阿爾山出発
   昭和17年1月 駐屯地チチハル着 同日より同地附近の警備
   昭和19年4月 パラオ諸島パラオ港上陸
   昭和19年4月 アンガウル島警備・パラオ本島警備
   昭和19年〜昭和20年 中部太平洋第1次〜第4次パラオ作戦に参加
   昭和21年1月 浦賀上陸 召集解除


 とあり、ここまで読み進めた間に於いて、貴殿の爺様が朝鮮半島に渡って、業者が慰安婦を集めて いたかどうかを確認したという記述はない。

 なのに、なぜ、どうして、慰安婦集めに業者が介在せず、日本軍が直接集めていたと断言できるの か。

 チチハルの慰安所を軍が直営していたというなら ( 慰安所の全てが業者によって運営されていたわ けではなく、中には軍が直営していた慰安所も存在した ) 其処に業者はいなくて当然である。 しか し、だからと言って、朝鮮半島に於ける慰安婦集め迄も軍に任せられていて、その軍が 「看護婦にな れる」 と言って朝鮮人女性を騙したということにはならない。

 朝鮮半島に於ける慰安婦集め迄も軍に任せられていて、その軍が 「看護婦になれる」 と言って朝鮮 人女性を騙したと主張するのであれば、その根拠が必要である。 しかし、記事中に示されるのは、貴 殿の爺様の邪推でしかなく、何の根拠も示されていない。

 貴殿の爺様がチチハルで業者を見たことが無かったからといって、無辜の朝鮮人女性を騙して慰安 婦にしたのは軍人であるという推理には無理がある。 実際問題、「看護婦になれると言われて騙され て慰安婦にされた」 という証言をした自称元慰安婦は、以下の検証サイトの目次に拠れば、なんと! 台湾の匿名の自称元慰安婦だけである。


   http://sikoken.blog.shinobi.jp/未選択/「元・従軍慰安婦」証言者一覧 <韓国>

   http://sikoken.blog.shinobi.jp/未選択/「元・従軍慰安婦」証言者一覧 <韓国以外>


 では、「看護婦になれると言われて騙されて慰安婦にされた」 という発言は何処でなされたのか?

 なんと! 慰安所で客である兵士に語ったのである。


   妄言の根拠をブッタ斬る!
   2012年12月13日 Transnational History
   ■[資料][慰安婦]日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態
   http://123123.ehoh.net/page002.html


 つまり、ピロートークであって、証言ではない。

 これが事実だ。



 Q、韓国は今、日本は従軍慰安婦問題について誠実に対応しなければならない、などと
   言ってきているが、日本はそうすべきだと思うか。謝罪や賠償をすべきだと思うか。

 A、当時には当時のやむをえない事情があったわけで、
   確かに今考えれば悪いことをしたとは思うが(罪悪感はある)、
   当時の朝鮮は日本の属国として日本の世話になっていたわけで、
   いまさらそれを謝罪や賠償する必要はないと思う。
   当時は、敵国の兵隊を殺せば「良い事をした」と褒められた。
   他にも、日本の首相はアジア各国に謝罪してきているが、それは必要ないと思う。
   当時を生きた人達に聞けば、みんなそう言うんじゃないか?
   ( ※↑祖父がこう言い切ったのは自分も意外でした。
    しかし考えてみれば、当時を生きた人達からすれば、これが自然なのかもしれません。
    しかし自分は祖父の考えには反対です。
    慰安婦強制は当時としても国際法違反の犯罪ですし、
    同じことを日本が他国からやられたらやはり許せないと思うのが当然だと思うから )

 

 そもそも慰安婦問題に関して日本政府が負わなければならない法的な責任はない。

 なぜなら法的責任である以上、抵触した法律が存在しなければならない。

 今と違って当時は、売買春も管理売春も合法。 これは裁けない。

 人身売買に関しては、今も当時も違法ですが、それに関して犯人は、日本政府および日本軍ではな く、日本政府および日本軍から慰安婦の募集を依頼された業者です。 日本政府および日本軍が 「慰 安婦は人身売買で集めろ」 もしくは 「慰安婦は人身売買で集めても構わない」 と通達していたり、指導 していたりしたなら、日本政府および日本軍も罪に問われるべきですが、実際は違う。 上で示した通 り、日本政府および日本軍は当時に傀儡政権だった朝鮮総督府を通じて警察に取り締まりをさせてい ました。 これで、日本政府および日本軍を有責にするのは無理です。

 当時に17歳未満だったという慰安婦の証言は全て嘘ですが、それでも内地では18歳以上、外地で は17歳以上であれば慰安婦として働くことが許可されていました。 これを国際法等に準じて違法であ ると言われる人がいます。 しかし、そんなものは女性の人権が確立した現在に於いて、売春が合法で ある欧州の国々でさえ守られていません。


   2013.02.23 杜父魚文庫ブログ
   世界は売春合法化の流れ   渡部亮次郎
   http://blog.kajika.net/?eid=1002832
   > 何気無し「ウィキペディア」に「売春」と打ち込んでみて驚いた。
   > 世間を知らないとは恐ろしいもの。
   > 近年、世界的に売春は合法化の流れがあるとされる、というのだ。
   >
   > アジアでは、タイで完全に合法化され、台湾でも合法化が検討されている。
   > 欧米では、売春自体は合法である国がほとんどである。
   >
   > ただ、斡旋を違法としている国も多いが、2000年にオランダが斡旋を含む売春行為を
   > 完全に合法化したのを手始めに、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランドなども
   > 斡旋合法化に踏み切っている。
   >
   > 何しろ合法化の理由としては、性病対策、性犯罪対策などがあげられる。
   > 出現した恐ろしい性病「エイズ」の伝染力、女性の権利の主張などがからんで、
   > 日本の売春防止法などは時代遅れといわれそうだ。
   >
   > タイや中国などアジアでは、現在でも、特に地方での貧困から、
   > 少女・少年が都市部の闇で売春をするケースが多いといわれ、
   > エイズなどの性病が蔓延し、大きな社会問題となっている。
   >
   > タイでは、性病の蔓延を防ぐため、衛生管理を徹底し、かつ税収を確保する目的で
   > 昨今、国の許可の下での管理売春が合法化された。
   > ドイツでは斡旋を伴う売春を完全に合法化し、売春地帯を一定の場所に隔離し、
   > 政府が性病管理をすることによって性病が減少したとされており、
   > タイはドイツを参考にしたといわれる。
   >
   >
   > ■ ヨーロッパにおける売春合法化と売春の現状
   >
   > デンマークは1999年の刑法改正により、18歳以上の売春は完全に合法化された。
   > もっとも、それ以前も事実上黙認されていたといわれる。
   > いわゆる街娼は少ないとされ、多くはサロンやマッサージ店のような場所で
   > 売春が行われている。 売春婦は約6000人おり、3割が外国人であるといわれている。
   >
   > オランダでは2000年に16歳以上の売春が完全に合法化され、
   > 一般の企業と同様の活動が可能となった。
   > アムステルダムなどの主要都市に売春宿(隠語で「飾り窓」と呼ばれる)や
   > 街娼(隠語で「立ちんぼ」と呼ばれる)が多数存在し、毎日朝から深夜まで
   > 料金等の交渉が行われている。
   >
   > 脅迫などにより売春を強要される女性がいると指摘されていることから、
   > 近年売春強制の罰則が強化されている。
   > これに対し、移民は仕事を確保することが困難であり、自らの意思で売春に従事する人が
   > 多いといわれる。
   >
   > デンマーク、フランス、スイス、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、チェコなどにおいても合法で、
   > オーストリアなどでは外国人が働くために売春ビザで滞在許可を得ることができる。
   >
   > スイスでは売買春は合法で、自治体に登録することで、営業することが可能となる。
   > EUの自由化により、外国人売春婦が増えているとされる。
   >
   > 売春合意年齢は16歳であることから、現在18歳未満であっても売春が可能である。
   > ただ、18歳未満がブランド品を買うために体を売る「ブランドセックス」が問題視されており、
   > 売春合意年齢を18歳に引き上げるべきであるとの議論がなされている。
   >
   > なお、イタリアやフランスの売春合意年齢は18歳、ドイツは21歳であり、
   > スイスは特に若いことが指摘されている。
   >
   > ドイツでは2002年に売春が合法化された。 売春合意年齢は21歳とされている。
   > 現在、ベルリンだけでも700もの売春宿があり、売春婦の数はドイツ全土で40万人と
   > いわれる。
   >
   > 合法化したことにより、「セックス税」が得られるようになったとされる。
   > また、ドイツW杯時には大きな売り上げをあげたとされる。
   >
   > ただ、経済不況の波はドイツの売春産業にも大きな影響をあたえており、
   > 価格が低下しているといわれ、近年では、多様化により、外国に支部を持つオーナーも
   > 多くいる。
   >
   > オーストリアでも売春は合法で、
   > 路上や店舗で活動するためには営業免許証が必要とされる。
   > 海外からの移住性労働者のための滞在ビザ、つまり売春ビザもある。
   > 売春ビザで働いている場合、売春以外の職種(ダンスショーなど)に従事することも
   > 裁判で認められた。
   >
   > チェコでは売春、売春宿の経営は合法である。
   > チェコのEU加盟により、従来最大で24時間近く待たされた国境通過が
   > 容易になったとされる。
   > そのため、トラックドライバーを主な顧客とするオーストリア国境地帯の売春宿の多くが
   > 廃業したといわれる。
   >
   > ベルギーでは従来から売春自体は合法だったが、斡旋行為等は違法とされていた。
   > しかし、ドイツ、オランダの合法化に伴いベルギーにおいても
   > 斡旋行為、売春宿の経営等が合法化された。
   >
   > イタリアでは1958年に売春防止法が施行された。
   > ただ、売春行為自体は適法であり、売春合意年齢は18歳である。
   > 売春の斡旋や売り込みなどは違法とされている。
   >
   > イタリア政府は政府公認の売春公認地域の設置や売春合法化を検討しており、
   > 8割の国民が賛成しているとの世論調査結果が出ている。
   > 現在、イタリアの売春婦は7万人で、多くが外国人とされる。
   >
   > オーストラリアでは売買春そのものは合法である。
   > 組織・施設・勧誘行為の規制は州により異なる。
   > 売春が合法化されている州では、一部上場している売春宿もある。
   >
   > 合法化を推進したのがキャンベラの女性市長である。
   > 売春を違法にしたところで、貧しい人達がいる限り売春は無くならないし、
   > 「モラルを押し付けておきながら、福祉を充実させずに貧しい生活を甘受せよというのは
   > 金持ちの身勝手である」
   > との反発もあり、合法化した。
   >
   > 合法化したことで、売春に従事する女性達は社会保障を受けることができ、
   > また賃金を不当に踏み倒されることもなくなり、また衛生管理も向上する。
   > そういった点で、女性議員達の支持をうけたのが、合法化に成功した理由といわれる。
   >
   > 同様の理由でニュージーランドでも合法化された。
   > ただし、合法的に売春するには、ライセンスを受ける必要があるとされる。
   >
   > イギリスでは売春すなわち「性的なサービスの代価に金銭を受け取る」こと自体は
   > 合法であるという判例がある。
   > しかし法律的には、街娼、ポン引き、売春宿および売春組織の形成は違法である。
   >
   > したがって、個人が新聞やインターネットで広告を出し売春をすること
   > (Independent Escort) は完全に合法である。
   >
   > これに対し、Escort を派遣するいわゆる Escort Agency や、日本のソープランドのように
   > マッサージと称して売春するマッサージパーラー(Massage Parlour)は、違法ではないか
   > との指摘があるが黙認されている。
   >
   > フランスでは売春は合法である。 ただ、斡旋や公道での勧誘は違法である。
   > 売春合意年齢は18歳である。
   > フランス在住のジャーナリストである鎌田聡江によると、
   > 近年、女子学生が生活費を稼ぐために売春するケースが増えているとされ、
   > その数は4万人にのぼるといわれる。
   >
   > 彼女達の多くは貧しい家庭の出身であり、社会的な成功を夢見て勉学に励んでいる。
   > しかし、労働法令により、労働者の解雇が困難なフランスでは、
   > 労務者の数を少なく抑えようとする傾向があり、バイトを探すことが困難となっている。
   >
   > そのため、彼女達が勉学を続けながら収入を得ることは難しい。
   > その上、パリでの生活費は一般的に高いといわれる。
   > それが、インターネットを利用した売春が女子学生の間で流行している原因であるとされる。
   >
   > スペインの売春は合法とされる。
   > 多くは、貧しい移民達が生活費を稼ぐために売春に従事している。
   > ただ、売春宿の経営については、規制が設けられており、新規出店は難しい。
   > そのため、マッサージ店に偽装する店が多いとされる。
   >
   > ギリシャでは売春自体は合法であるものの、街頭での客引き等の行為は違法とされ、
   > 規制も厳しいといわれる。 売春宿を経営するためには、市の許可が必要となる。
   >
   > アテネ五輪の際に、五輪特需を見込んで、アテネ市が230件の売春宿の新規許可を出した
   > ことに対して、北欧諸国から五輪の精神に悖るとして非難が起きた。
   >
   > (頂門の一針)


   デンマークは1999年の刑法改正により、18歳以上の売春は完全に合法化

   オランダでは2000年に16歳以上の売春が完全に合法化

   スイスでは売買春は合法 《中略》 売春合意年齢は16歳

   フランスでは売春は合法で 《中略》 売春合意年齢は18歳

 17歳どころか16歳でも合法です。

 さらに言えば、七十余年前、日本以外では17歳どころかもっと幼い子供が売春業に就いていました。


   2014年02月11日 笑 韓 ブログ
   【中央日報】ドイツとフランスにも慰安婦がいた?
   〜女性人身売買による売春を指摘される日本、韓国を批判する資格はない
   http://www.wara2ch.com/archives/7541815.html

   > 673:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2014/02/10(月) 21:52:52.28ID:qNmwthYH
   > > まずフランス軍の売春婦は自ら身を投じた女性たちだった。
   >
   > この文の根拠が不明だが(恐らく思い込みだろう)、もしそうだとしても、
   > 親に売られるか(韓国や中国、日本)、自分で売春婦になるか(欧米)の違いに
   > 見えなくもないんだが
   >
   > ところで、戦前の日本軍医の報告に次の記述がある。
   >
   >  “・ ミュンヘンでは娼婦2686人を検査し、
   >    16歳以下の娼婦のうち19人、16-18歳の娼婦のうち104人が花柳病に罹患していた、
   >   ・ スットガルド14-21歳の23.5%
   >   ・ パリーでは14-21歳の58.0%
   >   ・ 福岡県では娼妓のうち29.1%が20歳以下”
   >
   >  『軍医官の戦場報告意見集』不二出版所収「花柳病ノ積極的豫防方法」 麻生徹男、P56-57
   >
   > パリでもミュンヘンでも、16歳以下の売春婦が一定数いることが分かる。
   > 彼女たちは、果たして 「自分の意思で売春婦になった」 のかな?
   > ナム・ジョンホ氏は、ぜひ吉見義明氏や林博史と討論してもらいたいもんだw


 ロリコン歓喜というか何というか、14歳の女児が売春業に就いていました。

 ですから、17歳以上という未成年を売春業に就かせていた日本を有責と罵るのであれば、俎上に載 せなければならない国は他にもっと多くあります。


 さて、では他に、どんな罪を当時の日本政府および日本軍が犯していたと考えられるでしょうか?

  webサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 等のサヨク系サイト では、前借金などで縛って意にそぐわない仕事を強要するのは犯罪だという強引な理屈で日本を有責 にしようとしていますが、そんなことは今現在、世界中の資本主義国で行われていることです。

 漫画家の小林よしのり氏は、少年ジャンプで漫画を連載し始めた当初、「生活費を稼がなくてはなら ないから、連載を中断して欲しい」 と編集部に持ちかけたところ、「いや、それは困る。 当面の生活費 を送るので連載を続けて欲しい」 と返され、手元に50万円が送られてきたのだという。

 当時の小林よしのり氏は、まだ純情少年でしたので、原稿料を稼いで耳を揃えて返済するまでは、絶 対に少年ジャンプ誌で描き続けるしかない!と決意して必死に漫画を描き続けたのだそうです。

 同様にスポーツ選手等も数千万から数億円の契約金を貰って契約しますが、金だけ貰って 「プロの 選手ってケガが付き物じゃん。 そんなの嫌だからこの金で遊んで暮らすわ」 なんてデタラメが許され るでしょうか? 許されるワケがありません。 耳を揃えて契約金を返すのは当然の事、下手をすれば 契約金を上回りかねない違約金を払わされることでしょう。

 今だってそうなのですから、当時は尚更です。

 親が娘を女衒に売ったにしろ、夫が妻を女衒に売ったにしろ、本人が戦地売春業を舐めてかかって 安易な気持ちで契約書にサインしたにしろ、そこで契約金を貰った以上、嫌だろうが辛かろうが契約書 に書かれた任期は仕事を務めるしかありません。

 このあたりで知能が低いサヨクは、「看護婦になれると嘘を吐いて騙した」 等と言い出しかねません が、任期を終えて帰郷した慰安婦が誰一人として故郷の家族に 「看護師に成れると聞いていたのは嘘 だった。 実際は売春業だった」 と訴えた事実はありません。 慰安婦問題に関する知識が浅い人は  「えええ!そうなの?」 と驚かれることでしょう。 しかし、これが事実です。 もし、過去にそんな訴えが あったら、慰安婦問題はもっと早くに社会問題になっていたでしょう。 でも、そんな訴えはなかった ― ― というか、少なくとも表にでてくることはありませんでした。 ということは、 「看護師に成れると騙され た」 と言うのは、客の同情を買って規定以上のお金を払わせたり、貢がせたりするために吐いた強か な嘘だと捉えるのが普通の思考でしょう。 あるいは、本当に騙されていたとしても、それが親が娘を、 あるいは、夫が妻を業者に売った際に、「売春婦になんかなりたくない」 と駄々を捏ねたら困るので、 娘や妻を騙すために吐いた嘘だという可能性もあります。 当時の朝鮮半島は儒教の影響が強かった ので、家庭内の女性に人権など無いに等しく、「看護師に成れると聞いていたのは嘘だった。 実際は 売春業だった」 と訴えても 「黙ってろバカモン」 と恫喝されて終わりです。 この場合、悪いのは娘や妻 に嘘を吐いて騙し、業者に売った親や夫であって日本政府でもなければ日本軍でもありません ( とは いえ、朝鮮人が幾ら薄情で当時の女性に人権がなかったとはいえ、子や妻を売るというのは余程の差 し迫った状況だったのだろうと忍ばれます。 当時の貧乏というのは、今の日本では想像もつかない弩 の付く貧乏でしたから、それはしかたのなかったことでしょう )。


 というわけで、日本を有責にできる当時の法律は存在しません。

 ただ、そうはいっても、当時の日本政府や日本軍が“善い”管理を行って運営されていた慰安所で私 は酷い目に遭っただの、売春婦になんかなりたくなかったのに売春婦にされただの、泣いて喚いて騒ぐ から、「日本が(善く)関与した慰安所で不幸な目に遭った慰安婦の皆さんに謝罪します」 と言って下げ なくて良い頭を下げ、日韓基本条約で追加の賠償ができないから、民間の基金を通じて慰安婦の懐に お金が流れるようにしたんだ。

 最初に用意した50億円の内、30億円以上がサヨクのポッケにナイナイされたため、2回目は10億円を 直接韓国の団体へ渡して手切れ金としましたが、これで終わりです。



 以下、大したことは書かれていないので、引用元記事の引用は割愛。



 さて、「今北産業」な人のために、大雑把に三行で纏めてみよう。


 いち ― とあるサヨクの爺様が大東亜戦争時代に満州のチチハルに出兵した。

 に  ― その爺様は階級が低くて、慰安婦集めの現場の詳細を知ることは出来なかった。

 さん ― だが爺様の知る範囲に業者は居なかったので、非合法に慰安婦を集めたのは日本軍。


 どう?

 頭がクラクラしてくるけど、彼は、本当にこう主張しているのです。

 まず、根本的に間違っているのは、万が一、彼の爺様の邪推が正鵠を射ていて、仮に慰安婦が寝床 で客に囁いた通りに、奸計を以て騙す等の手段で、無辜の女性を本意ではない売春業に就かせてい たとしても、それはチチハルにいた59連隊の犯罪であって日本軍の犯罪ではない。

 毎度毎度同じ解説の繰り返しだが、身近な例に喩えて考えて欲しい。

 とある新聞社 ―― 朝日新聞でも毎日新聞でも読売新聞でも産経新聞でも何処でも構わない ――  のとある販売店がとある国の留学生に対して奸計を以て騙し、パスポートを取り上げる等の違法な手 段で逃げられなくして、毎日毎日薄給で扱き使っていたと仮定しよう。

 さて、この違法な労働が発覚した際に、その販売店の違法な行為に対して、その新聞社は被害に遭 った留学生に謝罪して賠償しなければならないのか?

 もちろん、新聞社が販売店に対してそういう違法な労働をするように仕向けていたとか、指導 / 教唆 していたのいうのであれば、販売店が犯した罪を新聞社も負うべきだろう。 しかし、逆に、新聞社がそ ういう違法な労働をさせないように指導し、かつ、監視の目を光らせて取り締まっていたとしたら、それ でも新聞社は、販売店が犯した罪を負わなければならないかのか?

 答えは、もちろん 「ノー」 だ。

 新聞社と販売店じゃなくて、自動車メーカーとカーディーラーでも同じ。 家電メーカーと家電販売店で も、何でも同じだ。

 個人、もしくはグループが犯した罪に関して予見性が無い限り、基本的に謝罪も賠償も必要ない。

 ただ、現実的には、消費者に悪いイメージを抱かれては困るから、親会社の社長や重役がガン首並 べて記者会見をして、コピペしたような謝罪文を読んで頭を下げ、被害者に心ばかりのお見舞金を渡 すのだ。 それだけの話である。


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